喬太郎の「錦の舞衣(上)」前半2012/07/07 02:07

 深川の大店近江屋は、芸人や芸術家の面倒をよくみる人で、絵師の狩野毬信 (まりのぶ)と座敷で飲んでいる。 毬信は名人だが、なかなか絵を描かない。  絵が思うようにいかない、惚れた女も嫁にもらえない、という。 女は近江屋 も知っている霊岸島の坂東お須賀、踊りの名人で、いい女。 近江屋が話をし ましょうと、口が上手くて、クーリングオフはしないと大評判(喬太郎、ダイ と言いかけて、オオヒョウバン)の小間物屋で油屋の善八に仲介を頼む。

 ご亭主を持ちませんか。 踊りがまだまだで、あと三十年はかかる。 貴女 を見初めた方がいる、狩野毬信先生、絵を描いても名前を書かない、いつかき ちんとした絵の描ける絵描きになりたいというのに、感心した。 駄目ね、私 は先生に絵をもらった。 「静御前、踊るお須賀」の掛け軸(かけじ)、こんな 絵を描いているようじゃ、まだまだね、と言った。 左の手、踊りをご存知じ ゃない。 筆に墨をつけ、左手のところをゴチョゴチョってやって、毬信先生 に私はこんな風には踊りません、って…。

 毬信は、近江屋に言う。 旦那、私はますます惚れましたよ。 こうして教 えてくれるのが偉い、褒めてくれるだけでは、この間違いに気付かない、よく 汚してくれた。 私は、上方へ行って修業して参ります。

 上方で修業をし、六年間でお須賀の絵を146枚描いた。 私は今日の噺を演 るのは5回目。 江戸に天保7年3月11日に戻った。 お須賀が盥(たらい) に湯を入れ、毬信の足を洗う姿は、まるで夫婦のよう。 146枚目を、見てく れないか。 ハッと息を呑む。 おっ母さん、「静」ねえ、私はこうは踊れませ ん。 毬信とお須賀は、夫婦になった。 しかし、一緒には住まない。 お須 賀は霊岸島、毬信は根津の清水に、それぞれの道を究めるために…。

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