「独立自尊」の起源〔昔、書いた福沢86〕2019/07/27 07:05

               「独立自尊」の起源

        <等々力短信 第831号 1999(平成11).1.25.>

 『文藝春秋』2月号の巻頭随筆欄に、寺澤芳男さん(元経済企画庁長官)の 「福沢諭吉とラルフ・ウォルド・エマソン」というエッセイが載った。 福沢 の有名な「独立自尊」という言葉が、当時の知識人、武士階級の基礎教養だっ た四書五経には出てこないことから、1841年にアメリカで刊行されたエマ ソンの『セルフ・リライアンス』を読んで、福沢自身がつくった言葉ではない か、と寺澤さんは推論するのだ。

 寺澤さんは、福沢の「独立自尊」は、「個」の発想で、さまざまな価値観を 持っている人々が、お互いに他人の価値観を尊重しながら共存するという西欧 の先進国社会の基本概念だという。 戦後の日本は、邪魔になる「個」の概念 をかえりみることなく、生産第一主義でつっ走ってきて、その製品が世界の市 場を席巻するまでになった。 談合、護送船団方式などきわめて日本的なやり 方考え方が、それを可能にしてきたが、それは戦後の「個」を消した画一的な 教育によって醸成されてきたものだ。 1997年11月、寺澤さんは参議院 で、ビッグバンを迎えて、これまでの集団主義的な考え方をやめ、「個」を確 立させることが一番大事になる、福沢諭吉もこれを「独立自尊」という言葉で 残しているではないかと、時の橋本龍太郎首相にぶつけた。 慶應出身の橋本 首相は、「福沢先生のいう『独立自尊』は、輸入される西欧文明に対して、日 本人がその技術を取り入れながら、日本人の心は失うまいということだ」と答 弁したという。

  興味を感じて、富田正文先生の『考証 福沢諭吉』を手掛かりに、ちょっと 調べてみた。 「独立自尊」の四字の標語は、明治33年にできた言葉で、こ の四字の入っている福沢の書は、すべて明治31年9月の大患後の揮毫とみて 間違いないという。 福沢は大患後、時代に適した処世の道を説くため、門下 の高弟に『修身要領』(明治33年2月)というものを編纂させた。 そこで 小幡篤次郎らの高弟は、福沢の平素の言行を「独立自尊」の標語を中心にし て、箇条書きにして示したのである。 明治34(1901)年の元旦へ向け、慶 應義塾は二十世紀へのカウントダウン、世紀送迎会を催し、福沢は「独立自尊 迎新世紀」と大書した。 これより先、明治31年の福沢第一回の発病の時、 ほとんど絶望と見られたので、小幡が戒名を撰び、福沢の思想性行を端的に表 すには「独立自尊」の四字が最も適当であるとして「大観院独立自尊居士」と した。 三年後の新世紀第一年、残念ながら、この戒名が実際に使われること になる。