無性に知りたい芋づる式<等々力短信 第1175号 2024(令和6).1.25.>1/19発信2024/01/19 07:04

   無性に知りたい芋づる式<等々力短信 第1175号 2024(令和6).1.25.>

 「羽林家(うりんけ)」という言葉を知らなかった。 今村翔吾さんが朝日新聞に連載している『人よ、花よ、』に出てきた。 楠木正成の子、多聞丸正行(たもんまるまさつら)を描いた小説なのだが、高師直(こうのもろなお)が好色な男だったことが、時々、舞台回しとしての女を登場させる。 このたびは、相貌、躰付き、声色、全てが師直好みの、羽林家のとある公家の娘、齢二十七、その手を掴んで引き寄せようとした。 そこへ、「兄上!」と師泰が、楠木正行の楠木党が決起したと知らせてきたのだ。

 「羽林家」を『広辞苑』で引く。 「中世以降、公卿(くぎょう)の家格の一つ。大臣家に次ぐ。大納言、中納言、参議にまで昇進でき、近衛中・少将を兼ねた家柄。四辻・中山・飛鳥井(あすかい)・冷泉・六条・四条・山科などの諸家があった。」

 「公家(くげ)」を引くと、その(3)「公卿(くぎょう)(1)に同じ」とあり、そこには「公(太政大臣および左・右大臣)と卿(大・中納言、参議および三位以上の朝官)との併称。上達部(かんだちべ・かんだちめ)。月卿。卿相。月客。俗に「くげ」とも。」

 「羽林家」が「大臣家に次ぐ」というので、「大臣家」を見る。 「摂家・清華(せいが)に次ぐ家柄。内大臣から太政大臣まで昇ることができるが、近衛大将を兼ねることはできない。藤原氏の正親町(おおぎまち)三条、三条西、および源氏の中院(なかのいん)の三家をいう。三大臣家。」

 「摂家」は、「摂関家」に同じ。 「摂関に任じられる家柄。古代・中世を通じて、藤原一族中の北家、特に初代摂政の良房の子孫に限られ、鎌倉初期には近衛・九条・二条・一条・鷹司の五摂家に分かれた。一家(いちのいえ)。執柄家。」

 「清華(せいが)家」は、「公卿の家格の一つ。摂関家に次いで、大臣家の上に位し、大臣・大将を兼ねて太政大臣になることができる。主に七家(転法輪三条・西園寺・徳大寺・久我・花山院・大炊御門(おおいみかど)・今出川(菊亭))を指す。室町時代には10家あった。江戸期には広幡・醍醐の両家を加えて9家。英雄。英雄家。華族。」

 芋づる式に、公家の家格は、「摂関家」「清華家」「大臣家」「羽林家」の順になる。 では、百姓で関白になった秀吉は、どういう手を使ったのか、新たな疑問が湧く。

 加藤秀俊さんの『隠居学』(講談社)に、こうあった。 おや、なんだろう、なぜこうなっているのだろう、という疑問をもつと無性に知りたくなるものなのだ。 それは野次馬根性、あるいは好奇心というやつで、「知りたい」という欲求、およそ知的探究という行為に「目的」なんぞありはしない。 学問というものは、おおむねゆきあたりばったりの、偶然の知的発見の連鎖以外のなにものでもない、と。

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