権門駕籠で呼ばれ、名を秘す屋敷で講釈する ― 2024/09/23 07:07
釆女ヶ原の見世物小屋の世話役、木挽町の市兵衛が初めて、松島町の文耕の長屋を訪ねてきた。 奇妙な頼み事、さる大名家から、文耕の講釈を聞きたいので屋敷まで来てくれないかと依頼があったという。 木挽町の町名主が市兵衛に、断れない話で、お家の名前は特に秘す、礼金は三十両、すでに前金として十両預かっている、この長屋まで駕籠で迎えに来る、と。 礼金の多さよりも、依頼主がわからないという、そのわけのわからなさが面白いと思えて、文耕は引き受けることにした。 期日は九月の三十日、迎えの駕籠は昼過ぎに来るという。
当日、町駕籠の四つ手とは桁外れに異なる立派な権門駕籠が、長屋の文耕の部屋の前に横づけされた。 文耕を乗せた駕籠は、人形町通りを北へ進み、どうやら大伝馬町から本町に向かう、本町の四丁目から一丁目まで進みきって、北でなく南、日本橋の方に曲がったので驚く。 ところが、南に少し進んでから、右に折れて、常盤橋を渡り、御曲輪内に入った。 徳川家にとって最も信を置ける大名の屋敷が配されているところだから、文耕は迂闊なことは語れないと気持を引き締めた。 駕籠は大きな門をくぐり、屋敷の玄関の前に着いた。 文耕は、奥に長い広間に案内され、その後方の襖の前、大きな座布団と立派な文机のところで待たされた。
肩衣や袴からも高い位の若々しい武士が入ってきて、文耕の前に座った。 「どなたに向かって話すのかわからないという趣向が気に入って、楽しみに参上しました」と言うと、声を上げて笑った。 そのいくぶん高めの笑い声に、記憶があった。 「龍助……殿か?」 田沼意次だった。(田沼意次と「江戸打ちこわし」<小人閑居日記 2024.3.24.>参照)
文耕が、ここはどなたの屋敷かと聞こうとした時、正面の襖の奥の座敷に数人が着座する気配が伝わってきた。 位の高い奥の女衆かもしれぬ。 襖の向こうから低い落ち着きのある男の声で、「田沼殿、そろそろ始めてもらったらいかがかな」と。 文耕は、この日、大岡越前守忠相(ただすけ)の話をするつもりだった。 だが、ここが大岡の屋敷だとすると、大岡に阿(おもね)るようで気が進まない。 急遽、夜講で語った吉原の遊女秋篠が、紀伊家の清水新次郎の仇討ちを助けて、本懐を遂げさせる話を語った。
長尺を一気に語り終えて、文耕は一息ついた。 しばらくして、襖の奥から声がした。 「それで、終わりか?」 「襖を、開けい」 だが、それを押し止めるように、講釈の前に田沼意次に声を掛けた人物が小さく叫ぶように言った。 「上様!」 その声を聞いて、文耕は息を呑んだ。 この世に、上様と呼ばれる人はひとりしかいないはずだ。 「かまわぬ、開けい」 一段高い座に、羽織と袴姿の武士が座っており、なんと黒い羽織には葵の紋がついている。 田沼意次は、座布団から滑り降り、両手をついて平伏した。 文耕も、反射的に座布団から降り、両手を畳について頭を下げていた。 一呼吸置いて、その頭の上から、声が降ってきた。 「家重だ」
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