現代アートと現代詩の難解さの違い ― 2008/03/20 08:17
「KPO閉館 現代アート発信の20年」で、アートプロデューサーの林容子さ んという人だったか、現代アートは難解だというけれど、時代の先を行ってい るのだ、驚いたり、変だなと思ったり、それでいい、それに触れているだけで いいのだ、と話していた。 それが新しい表現を創っていき、アートは世界を 変えていくことが可能なのだ、と。
『荒地の恋』の流れで読んでいる、北村太郎さんの『ぼくの現代詩入門』(大 和書房)に、現代詩が難解だといわれることについて、こんなことが書いてあ った。 「シュルレアリスムやアブストラクトの美術だって、電子音楽だって、 数多く見たり聴いたりしなければ分かるも、分からないもない。」「なるべくた んと現代詩を読んでくださいよ、初めは分かりにくいかもしれないけど、いろ いろなタイプの詩をたくさん読めば、目が肥えてきますからね。」 でも詩を、 絵や彫刻や音楽と同列に扱うのは間違いなのではないか、と北村さんは考え始 める。 抽象画や、奇想天外な現代音楽に、怒る人は少なくて、仮に怒ったと しても、見も聴きもしなければいい。 ところが現代詩は違う。 人々が「怒 りをこめた困惑」を抱くのは、「詩がことばそのものを材料にしている芸術だか らです」、なぜ怒るかといえば「それはたぶんことばが人間社会での意志伝達の ための一番大切な基本的共有財産と考えられているからでしょう」、と。
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