幸田文「台所のおと」2010/12/05 07:57

 「あきは佐吉と二十歳も年齢のひらきがあり、互に何度目かの妻であり夫で ある。」 一緒になって十五年、佐吉は料理人で「なか川」という小さい料理屋 を、あきと、初子という若い女を助手にしてやっていた。 客室は八畳と四畳 半の二た間。 まわりは中小のメリヤスや木綿品の問屋が多く、なか川は重宝 がられている。

 佐吉が去年の秋から胃の病気で、障子一枚の向こうに寝ている台所で、あき は料理をする。 幸田文の文章は、繊細だ。 「水栓はみんな開けていず、半 開だろうとおもう。そういう水音だ。」「水の音だけがして、あきからは何の音 もたってこない。」「なにか葉のものの下ごしらえ――みつばとかほうれんそう、 京菜といった葉ものの、枯れやいたみを丹念にとりのける仕事をしているにち がいない。」「もうじき水は止められる筈だ。なぜなら葉ものの洗いは、桶いっ ぱいに張った水へ、先ずずっぷりと、暫時(ざんじ)つけておいてからなのだ。 浸(ひた)しておくあいだは、呼吸を十も数えるほどでいいのだが、その僅か のひまも水の出しっぱなしはしないこと、というのが佐吉のやりかたで、佐吉 は自分の下働きをしてくれるひと誰でもに、その方式をかたくまもらせてい た。」「やはり水はとめられた。」「やがてまた流し元にもどると、今度は水栓全 開の流れ水にして、菜を洗いあげている。佐吉はその水音で、それがみつばで なく京菜でなく、ほうれんそうであり、分量は小束が一把でなく、二把だとは かって、ほっとする安らぎと疲れを感じる。」

 佐吉の胃は重篤な病気だった。 医師は、男の身内がいないのを確かめ、あ なたは芯がしっかり者だとおもうからと、それを告げた。 あきは「なるべく 立居もひっそりと音をはばかり、まして台所の中では、静かに静かにと心がけ、 音をぬすむことが佐吉の病気をはばむことになるような気がしてきた。」

 ところが近くに火事があった後、佐吉が台所の音がおかしい、という。 あ きがやるようになった当初は、いつもよりずっといい音をさせていたのに、「こ こへ来てまたぐっと小音(こね)になった。小音でもいいんだけど、それが冴 えない。いやな音なんだ。水でも包丁でも、なにかこう気病みでもしているよ うな、遠慮っぽい音をさせているんだ。気になってたねえ。あれじゃ、味も立 っちゃいまい、と思ってた。」

 音だけでなく、心の中も、悟られていたのだろうか。 その結末は、小説を お読みください。