“不幸”という思い込みからの脱出2010/12/12 07:59

 土屋賢二名誉教授が、奥さんの悪口を並べ立てたのには、ワケがあった。 ま ァ、これくらいの不幸で止まっている、というのだ。 人間は物の考え方で不 幸になる。 その典型的な例が、一面的な物の考え方で、よく「人生は無意味 だ」と断言する人が(哲学者にも)いる。 理由として二つ挙げる。 (1)やがて死ぬから。人類は絶滅、地球は消滅、無に帰すから全ては無益。  (2)心理的動機。今日一日何をしたか、満員電車で出勤し、机にへばりつい て仕事をし、また満員電車で帰宅し、野球を見て寝た。この同じ一日一日の積 み重ねに過ぎないから、無意味。

 この考え方は、間違っている。 (1)終わることと、意味とは関係がない。  終わるから無意味だとは決められない。 映画も、音楽も、終りがある。 ボ クの話も。 (2)生活にはそういう側面もあるが、人生は他の側面が無数に ある。 〈よくみれば薺(なづな)花さく垣ねかな 芭蕉〉という俳句がある。  俳句は七つか八つか知らないけれど…。 薺というのは、雑草みたいな、地味 な花らしい。 それが芭蕉にとっては、人生で重要なことに見えた。 描写の 仕方は、いっぱいある。 だから、つまらなそうな一面だけを取り出して、つ まらなそうに見せることは、公平でない。 偏見を持った描写の仕方というこ とになる。 上の「満員電車」の話は、自分の人生はつまらないと思っている 人が、つまらないところだけを、拾い出している。 客観的な証拠にもとづく 論証でなく、主観的な感想をもらしているだけだ。 事実を挙げて反論するこ とは不可能で、食べ物が好きか嫌いかに近い。 事実はどうかと議論するのと は違う。

 自分の欠点や、不幸なことで、人生が全て真っ暗だと考える傾向がある。 そ れが全てだと考えると、変なことになる。 どうすればよいか。 いい面もあ るよ、と声をかける、慰めの言葉や考え方は有効だ。 (1)ほかにチャンス がある。 (2)お前一人が悪いんじゃない(親・社会が悪い、人類のせい、 人間だもの、と責任分散。) (3)空は広い、というように、一面から、他の 面に目(や意識)を向けさせる。

 一つのことに心を占領されてしまわない、ちがう物の見方をすることは、落 ち込むのを防ぐ。 それにはユーモアが大切だ。 第二次世界大戦中、ナチス・ ドイツに英仏海峡を封鎖された時、イギリスの新聞が「ヨーロッパ大陸は孤立 した」という見出しを立てた。 自分が一面的になろうとするのから、脱却す ると、人は笑う。 苦しい時、重大な時、ちょっとした側面の変化が、過度の 重大視から逃れさせる。