山根貞男さんの映画評に感想2010/12/29 06:48

 映画評論家の山根貞男さんが、朝日新聞の「映画プレミアシート」(12月17 日夕刊)で、『最後の忠臣蔵』を評していた。 周知の物語のイメージを一変さ せ、美術や衣装も素晴らしく、重厚かつ格調高い時代劇になっていると、まず 褒めた後で、「腰砕け」になるようでは残念で、もったいないと、三つの疑問を 出している。 (1)恋心を抱く可音への孫左衛門の気持が判然とせず、それ を抜きにすれば、ラストの死はあまりにも単純すぎる。 (2)婚姻の行列に 参集する旧赤穂藩ゆかりの人々のだれもが、可音を異様なほど高貴の人に奉り 過ぎではないか。 (3)上の二つが同根だとすれば、忠義を賛美するだけの 映画になり、随所に印象深く出てくる「曽根崎心中」の意味も読み取れない。

 杉田成道監督を弁護する義理はないけれど、若干の感想を述べる。

 (1)第一に「成し遂げて、消えていく」男(武士)の美学なのではないか。  大石内蔵助は、瀬尾孫左衛門に使命を伝える時、「私に命をくれ」と二度言った。  瀬尾は大石家の用人で、浅野内匠頭からみれば陪臣である。 大石内蔵助は、 「その後」を描いたこの物語の中でも、死んでなお生き続ける巨大な存在で、 その言葉は絶対的だった。

 (2)大石内蔵助は、討ち入りに参加しなかった旧藩士についても、その「就 活」の面倒を見ていた。 又従兄弟の進藤長保(伊武雅刀)は公家の近衛家の 家宰、浅野家番頭の奥野将監(田中邦衛)は日野大納言家の家司、大石内蔵助 の墓地で孫左を足蹴にした(?)月岡治右衛門(柴俊夫)も、どこかの藩に世 話してもらっていた。 その恩と、内蔵助への思いは深い。 ただ、田中邦衛 の扱いは、『北の国から』の論功行賞的な監督の温情に見えた。

 (3)物語上、縁談のきっかけとなり、琴平町「金丸座」での撮影が江戸時 代の芝居小屋「竹本座」として映画に彩りを添えた。 可音と孫左の恋の結末 を暗示していた、ということでよいのではないか。