車谷長吉さんの西行論2012/07/25 01:37

 車谷長吉さんの『妖談』(文藝春秋)を読むと、慶應には旧華族さまの末裔が 多く、兵庫県飾磨の農家から来た車谷さんは「何だ、土ン百姓か」と言われた とある。 〔目〕という短篇につぎのような記述がある。 高校を出るまで、 麦刈り、田植え、田の草採り、稲刈り、脱穀、麦播き、中かじき(私にはどう いう作業かわからない)、田んぼ仕事は何でもしていた、という。

 政府による麦の買い上げがなくなったのは、日本では戦後、自動車産業が盛 んになって、アメリカ合衆国の人に自動車を買ってもらう代わりに、米国産の 麦を輸入しなければならなくなったからである。 日本政府は、半ば農民を切 り捨てる政策に出て、自活できなくなった農民の多くは、田んぼを離れ、自動 車製造会社の非正規雇用の労働者になった。 百姓は「古事記」「日本書紀」の 時代から、いつも為政者によって小馬鹿にされて来たのであった、と車谷さん は言う。

 ここからの西行論が面白い。 西行、俗名・佐藤義清(のりきよ)、妻子を捨 てて出家し、世の無常を詠んだ歌人である。 この人が「人。」と言う場合、そ れは京都の貴族や僧侶、鎌倉武士だけを言うのであって、百姓などは「人。」の 内に入っていなかった。 西行の出家遁世の歌は、京都の貴族社会を捨てたと 言うだけあって、生家が所有していた紀州の広大な荘園の上がりを貰うことは 死ぬまで止めなかった。 荘園で百姓を扱(こ)き使い、その上に鎮座して、 世の無常を嘆いた人である、というのである。

 そういえば、私も、諸国を漂泊して草庵を結んだりした西行が、時折かしば しばか京都に帰ってきて、天皇家や上流婦人連と付き合い、歌会に出て歌を詠 んだりしているのを不思議に思っていたのだった。

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