林家彦いちの「熱血怪談部」2017/07/06 07:15

 彦いち、袖の真ん中に肩から太い白い線が通った、珍しい羽織。 運動部、 体育会系の人物、特に柔道部、空手部、ちょっと違う感じがする。 落語に接 していなかった。 掛け声は、何て言っているんだ、と先輩に訊かれた。 「待 ってました!」「たっぷり!」と言ってる。 みんな弱そうだ、今度やってやる。  嫌な予感がした。 舞台に出ると、対角線に緊張した一角があり、その中心に 彼がいた。 ライフル銃で狙われていて、赤い点が額にあるようだ。 掛け声 は、間が難しい。 スパッと針の穴を通すように、気の力をエネルギーに込め るのだが…。 二つを一緒にしてしまった、「混ぜるな危険」。 座る直前に、 「まったり!」

 道場を持ってるような人でも、帰ろうとする時に、「林家さん」と言う。 こ れも違う。 「林家さん」は何人もいる、「五街道さん」「桃月庵さん」は一人 だけれど。 「林家さんの仕事は、何ですか?」 さっき、やったじゃないで すか。 「ああ、あの、しゃべるだけですか」 メモリーが少ない、3ギガ位。

 新幹線で「林家さん、隣に座ってもいいですか?」 煙草喫わないんで、席、 変えたんです。 「自分、どこでも座れるんです。自分、自由席なんです。」 指 定席、グリーン席、自由席(最上)というヒエラルキーになっているらしい。

 今日から、怪談部の顧問になった流石、ながれいしです、厳しくやります。  「さすが」じゃない、うるさいぞ。 秋の文化祭、みんな見に来ますから。 体 育会的な、挨拶的なのは、嫌い。 きちんと頭を下げる。 怪談部、レイに始 まって、レイに終わる。 番号! 言わなくてもいいんじゃないですか。 番 号! 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12(高い声で)。 代返か、数 が足りない時にやるもんだ。 数が増えてます。 12番目の人、幽霊部員にす る。 早口言葉をやろう。 あいううえおあ かきくくけこか さしすすせそ さ 「くうかいが じょうずに きりすとさまの えをかいた」

 みんな技術、持ってるか、小林、ゾクゾクした話、やってみろ。 本当の話 でも、いいですか。 この学校なんですが、実は体罰がある。 それは怪談話 でなく、告白だ、駄目。 あっしですか、ゾクゾクした話、ないんでございま すが、強いて言えば、饅頭が怖い。 サークルが違う、駄目だ、一時解散、先 生は見回りをして来る。

 おい、何してんだ、そこにうずくまって。 どこのサークルだ、何年何組だ。  道を尋ねる人がいたんです、その人が怯えていたんです。 うちのサークルか、 続けて。 目も口もない、ノッペラボウ。 私を連れて行って下さい。 続け て。 顔が消えているぞ、茹で卵のように顔がツルッとして。 私はこの土地 に八百年住んでいる。 運動場、十周! 表情が消えているな、出しなさい。  泣いているんで。 顔出して、ちゃんとしなさい。

 誰だ、そこにぶら下がってんのは? 私は23年前、体育教官室で殺された。  いい表情だ、下りて来なさい。 夜な夜な、ここに現れて、恨み晴らさでおく べきか。 下りて来なさい! 長い髪の毛は、校則違反だ、スカートも短すぎ る。 教官、開けますよ。 猫娘です。 カサカラ。 逆です、反対にしなさ いよ。 婆さん、砂かけるんじゃない。 部室に集合! 11人集まって、先生 をおどかそうっても駄目だ、今日はこれで。 先生の長い首が、するするっと 伸びて、窓から消えて行きました。

 汚いね、この学校、廃校になったのよ。

 「食いつき」に登場した彦いち、噂は聞いていたが、初めて聴いた。 期待 に反し、面白くなかった。 落語研究会、上方から米朝や枝雀や吉朝が噛んで いた頃の充実を、つい思い出してしまった。

古今亭志ん輔の「大山詣り」前半2017/07/07 07:17

 志ん輔は、薄緑の着物に、濃い緑の羽織。 信心じゃ、しようがないな。 大 山詣り、伊勢原あたりから上がって行く。 小田急線はないけれど、そんな遠 くではない。 先導師、先達さんが講を率いて、張り合って登った。 旅館を 兼ねている料理屋に、今も、上野鈴本、末廣亭、神田連雀町なんて木の看板が ある。 青年部に新入りが入ってくる。 町内から代参に行かせて、先輩は下 で遊んでいたりする。

 先達さん、こんちはー、こんちはー、こんちはー。 今年も、お山しよう。  長屋のかみさん連中が、物騒だって言うんだ、妙な屑屋が入って来て、何か探 したりする。 そこであっしが考えた、一人、屈強な人間に残ってもらいたい。  熊さん、睨みを利かしてくれないか。 眉毛が太くて、目ん玉が大きい、唇が 厚い、頑張っておくれよ。 いやです、俺も一緒に行くよ。 本当のことを言 おう。 山行くの、やめな、毎年喧嘩になる、元はお前だ。 喧嘩しなけりゃ あ、いいんじゃないか、俺は男だ、しないったら、しない(と、床を叩く)。 去 年も、そこを叩いた。 頼むよ、先達さん。 決め事をこしらえよう。 腹を 立てたら、二分ずつ取る。 手を上げたら、坊主にする。 二分は、一両の半 分、十両盗んだら首が飛ぶ、大変な金だ。 ちょんまげは、大切なものだった。  中国の弁髪から来たということだが、他では言わないほうがいい。

 明日は江戸、神奈川の宿で一泊した。 騒ぎの起きないわけがない。 先達 さん! 今、日記をつけてるところだ。 日記もハッカもない、騒ぎが起きて いるよ。 また熊か。 相手は誰だ。 俺だよ。 話を聞いてくれ、俺と留公 が湯に入ってた。 二人でいっぱいの湯に、熊がへべれけで来て、俺の所に入 った。 毛むくじゃらのケツ、ズボッと入れて、唄、歌い始めたんだ。 いき んで、一発ボコッとやった。 臭せえな。 今、嗅いだ屁を返せ。 こんなぬ るくせえ湯に入っちゃあいられねえ、と出る時、留公の頭を蹴って、喧嘩にな った。 手桶で頭を、二つ三つ張り倒してやろうと思ったら、手桶取られて、 五つ張り倒された。 ドッタンバッタン、やったんだ。 腹立てたから、二分 置こう。 野郎を坊主にして下さい。 まあまあ、熊に言い聞かせるから。 先 達さん、夕飯です。 いま行くよ。 先達は酒飲んで、熊公のこと、すっかり 忘れてた。

 剃刀、貸してくれた、女に会いに行くんでって言ったら。 奴は、寝てる。  憎体なツラして。 下で水を貰って来て。 酒で湿しちゃいなよ。 いい香り だね、旨めえよ。 俺達のと違うよ、どこで手に入れてくるんだろう。 もう、 呑まない、プッ。 どれどれ、どれどれ、よく切れるね、ワーーーツ、ツルツ ルになっちゃった。 いい塩梅に、寝返りを打った、きれいになった。 ざま あみやがれ。 蚊帳かぶせとこう。

古今亭志ん輔の「大山詣り」後半2017/07/08 07:08

 翌朝、一行は先に立った。 冗談じゃないね、江戸の方々は気が荒い。 蚊 帳を出しっぱなしにして。 中から、坊さんが出て来たよ。 この人、湯殿で 暴れた人じゃない。 お客さん、起きなさいよ。 煙草盆、取ってくれ。 い い天気かい、江戸に来なよ、案内してやるよ。 たいそう、きれいになりまし たね。 それは男の言うセリフだ。 何、坊さんがいます? お前さんが…。  (頭に手をやって)ワーーーッ! ゆうべ、暴れやあしなかったかい。 やら れちまった。 みんなは? もう、お立ちになりました。 おいてけぼりか。  江戸まで通しの駕籠と、酒を一杯、それに茶漬けだ。

 お山に行った者のかみさん、俺んちに集めてくれ、話がある。 俺の言うこ とをよく聞いてくれ。 お山は無事に済んで、神奈川の宿で一泊、だれかが金 沢八景を見物して帰ろうと言い出した。 舟に乗って、米ヶ浜のお祖師様をお 参りして行こうとなった。 伊豆屋という船宿で、船頭が大南が吹いているか ら、今日はやめたほうがいい、と言うのを、こちとら江戸っ子でえ、と舟に乗 った。 烏帽子の脇を抜けるまでは、いい天気だったが、船頭が妙な顔をして、 あの黒い雲が気になるという。 その雲がブワーーッと広がって、あたり一面 真っ暗になって、雨がザーザー、ものすごい風になって、波がドーーーン。 舟 が木の葉のように揺られて、船頭が海へ落ちた。 俺は板子一枚持って、海に 飛び込んだ。 目を覚ますと、覗いている奴らが、よかった、あなたは運がい い、お前さんだけ助かったって言う。

 俺も死のうかと思ったが、これを伝えなくてはと、恥を忍んで帰って来た。  みんなは百年千年待とうが、もう帰って来ないんだよ。 エーーッ。 やっぱ り山へやるんじゃなかった。 ミィちゃん、嘘だよ。 この人は“ほら熊”“千 三つ”ってんだよ。 熊さん、いい加減にしておくれよ、若いかみさん連中を 泣かして。 冗談いっちゃあいけねえ、姐さん、俺は人の生き死にのことで嘘 をついたことはない。 俺は高野へでも入って、みんなの菩提を弔おうと思っ て、頭をまるめた。 ほら、この通りだ。

ワーーッ、かみさん連中が一斉に泣き出す。 わたしは、井戸に身を投げて 死にます。 それだ、それだ、すすめるわけじゃないが、緑の黒髪をぷっつり 切って、菩提を弔らったら、どうだ。 若いかみさん一人坊主にしておけない と、先達さんのかみさんも坊主になったものだから、私も私もと、髪結い床か ら剃刀借りて来て、十二人の坊主ができた。 百万遍を唱え始める。

熊の所に先に行って、断わっておこう。 念仏が聞こえるぞ。 夜更けの念 仏、大勢聞こえているよ。 何だろうね。 ワーーッ、ずいぶん坊さん集めた ね。 尼さんばかりだ。 おっ、覗いてみな、真ん中で伏せ鉦叩いているのは、 熊にそっくりだ。 熊だ、途中で追い越して行った、垂れを下ろした駕籠で帰 っていたんだ。 あのねえ、箪笥の前で泣きながら念仏唱えているの、お前の かかあにそっくりだ。 ウチのかかあだよ。 大変だ、かみさん連中、残らず 坊主にしちまったんだ。

さあさあ、皆さん、亡者が迷って、出て来たぞ。 迷って出て来たんじゃな い、俺だよ、俺。 舟がひっくり返ったんじゃないのかい。 足を見ろ、二本 ある。 生きてたの、お前さん、恥ずかしいよ。 先達さん、おたくの姐さん まで坊主にされちゃいましたよ。 やい、なんで俺のかかあを坊主にした。 ま あ、やめなさい、みんな坊主か、ワーーッ、きれいに並んだな、冬瓜舟が着い たようだ。 アッハッハ、こいつは目出度い。 かかあがみんな坊主にされて、 目出度いことがあるものか。 いや、目出度い、お山が無事に済んで、帰って みれば、みなさんお毛がなかった。

八幡鮨四代目・安井弘さんの『早稲田わが町』2017/07/09 08:00

 3日の「朝也改メ春風亭三朝の「蛙茶番」」に、こんなコメントをつけた。 「漱 石の生家跡のある早稲田の馬場下交差点に、「三朝庵(さんちょうあん)」とい うお蕎麦屋さんがあります。江戸時代の創業、「カツ丼」「カレーうどん」発祥 の店という説もあり、「大隈家御用達」「近衛騎兵連隊御用達」の看板が掲げら れていた老舗です。」 実はその前日、早稲田にお住いの同期生・平井一麥さん が送って下さった一冊の本で、そのことを知ったのだった。

 『早稲田わが町』(書籍工房早山)、著者は早稲田八幡鮨(やはたずし)四代 目の安井弘さんである。 帯に「ふるさと早稲田と家業を愛して八十余年」「す し屋のおやじの『早稲田風土記』」とある。 安井弘さん、1934(昭和9)年生 れというから83歳、カバー写真を撮った五代目安井栄一さんは「カッパ巻き は四代目が始めたようだ」と書いている。 あとがきに「入念な校正と出版に 向けて数々の助言をいただきました」とある「Hさん」が平井一麥さん、私の 日記に時たま登場する作家・野口冨士男さんのご長男である。 野口冨士男さ んは、この本に、早稲田大学の体育館の西隣にあった栄進館という下宿屋に下 宿し、後に鋳物研究所(現・早稲田大学各務記念材料研究所)近くの下宿屋を 兼ねた住居で作家活動をしたと、川端康成と撮った写真とともに紹介されてい る。

 早稲田には、2014年10月4日の慶應志木会「歩こう会」と、今年4月22 日の福澤諭吉協会の一日史蹟見学会で訪れたので、若干の土地勘があった。 日 記にも、いろいろと書いていた。

「志木歩こう会」で早稲田へ<小人閑居日記 2014.10.27.>

漱石のゆかりの町から神楽坂へ<小人閑居日記 2014.10.28.>

「志木歩こう会」俳句「早稲田から神楽坂へ」<小人閑居日記 2015.1.1.>

緒方洪庵の墓、「おとめ山公園」<小人閑居日記 2017.4.25.>

護国寺、大隈家墓所の四つ墓<小人閑居日記 2017.4.26.>

大隈重信記念室と早慶の関係<小人閑居日記 2017.4.27.>

≪明暗≫・早稲田大学教旨・大隈庭園<小人閑居日記 2017.4.28.>

大隈重信の右脚は残った<小人閑居日記 2017.4.29.>

 『早稲田わが町』で、新しく知るところが多かった。 明日から、少し書い てみたい。

旧跡「高田馬場(たかたのばば)」のこと2017/07/10 07:08

 「戸塚村略図」が八幡鮨四代目・安井弘さんの『早稲田わが町』の巻頭にあ る。 戸塚村は戸塚町となり、昭和50年6月から町名が西早稲田と高田馬場 になった。 戸塚町は、神田川と諏訪通りに挟まれて、細長く西は小滝橋から 東はリーガロイヤルホテル東京までの地域で、昭和初期まで山手線より西の「上 戸塚」、中間の「諏訪」、「源兵衛」、旧鎌倉街道より東の「下戸塚」の四つの大 字に分かれていた。 早稲田大学と八幡鮨は「下戸塚」にある。

 八幡鮨(西早稲田3-1-1)は、旧茶屋町通りと重なる早稲田通りの角(西早 稲田交差点)、グランド坂上にある。 茶屋町通りというのは旧跡「高田馬場」、 三代将軍徳川家光が寛永13(1636)年幕臣の馬術の練習の場として築造した 幕府公儀の場所で、その後、付近に茶屋が次第に出来、馬場に練習に来る旗本 が休息に利用し、神事流鏑馬には江戸市中から見物が押し寄せ、春秋の好季節 には賭的、大的、小的、騎射、能囃子、土佐浄瑠璃、外記節、曲芸、かるわざ などが行なわれると、鬼子母神や新井薬師へ参詣する人が立ち寄って遊んで行 くようになった。 中仙道、川越街道、青梅街道への旅人や、近郊から野菜を 積んだ荷車の往来も賑やかになって、馬場の北側に松並木ができた頃には、茶 屋は八軒も並んで繁盛していた。

 この「高田馬場」は、元禄年間の堀部安兵衛の決闘で江戸中に知れ渡り、寛 政年間に入って「男伊達」が流行ると、喧嘩の場、試合勝負の場となったこと もあった。 勝負が始まると、高田馬場を喧嘩の名所にしてはならないと、馬 場道に並ぶ茶店で最古参の「藤屋」嘉兵衛が、扇子をかざして躍り出て、間に 入り仲裁をし、双方の話をよく聞いた上、和睦に至らせたという。

 蜀山人、大田南畝は、狂歌の会などで、高田馬場の茶屋をよく利用し、31歳 の安永8(1779)年8月13日から17日まで、ここの「信濃屋」で狂歌仲間と 五夜連続の観月宴を催し、<月をめづる夜のつもりてや茶屋のかかもついに高 田のばばとなるらん>と詠んだ。

 これで、茶屋町通りの東の夏目漱石の「馬場下」や、茶屋町通りの西の早稲 田通りと明治通りが交差する「馬場口」が、旧跡「高田馬場」に由来すること がよくわかった。 しかし山手線の「高田馬場」駅は、「馬場口」よりさらに西 の先に位置する。 明治43(1910)年9月15日に開業したが、当初鉄道院は 新宿と目白の間には駅は不要としていたのを、住民の声を代弁した大隈重信の 鶴の一声が、駅を誕生させたとも伝わっている。 駅の所在が上戸塚と諏訪村 にまたがっていたことから、地元の人は「上戸塚」か「諏訪の森」を希望した が、鉄道院は江戸の昔から知られた「高田馬場」と決めていた。 これを聞い た旧跡「高田馬場」の茶屋町通りの周辺の人々が、この名を駅名に持って行か れることに反対、駅側が高田の「田」に濁点をつけることを提案し、住民も了 解、「たかだのばば」駅となった。 江戸っ子は、昔から「たかたのばば」で、 今も地元では濁らないのだそうだ。 安井弘さんも書いているが、雑司ヶ谷育 ちの先代の桂文治(伸治が長かった小さい人)は、寄席の高座で「高田馬場」 駅が「たかだのばば!」「たかだのばば!」とアナウンスするのに、いつもブツ ブツ文句を言っていた。