37年前、小三治・志ん朝『千両みかん』競演2021/03/17 07:05

 小三治の落語について書いたものの一覧表を出そうとしたら、一番古いのが1984(昭和59)年、およそ37年前のこの「等々力短信」だとわかったので、まず、これを引いておく。

      「等々力短信」第332号 1984(昭和59)年9月5日                 野菜・果物、昔の味

落語に『千両みかん』という話がある。 ある夏のこと、大店の若旦那が、原因不明の病いで寝ついてしまう。 番頭さんが、若旦那をなだめすかせて、ようやく理由を聞き出すと、「みかんが食べたい」という。 江戸中さがし歩いたけれど、夏の真っ盛りに、みかんはない。 最後に、神田の問屋の蔵に、囲ってあったみかんの山から、たった一つだけ見つけ出した。 みかんの値段が千両。 それでも、命にはかえられないと、そこは大店、若旦那はみかんを食べ、残した三袋を父母にと番頭に託す。 十三の年から奉公して、来年のれん分けの時にもらえるお金が多くても五十両、このみかんが三袋で三百両、迷った番頭、そのみかんを持って逐電、というご案内の話である。

七月は、国立の落語研究会で小三治が、月末東横の円朝祭で志ん朝が演じて、『千両みかん』の競演となった。 聴いた場所やこちらのコンディションの違いもあって、比較は正確ではないが、私は小三治に軍配をあげた。 夏でも、みかんのある今では、この話、説得力の勝負になる。 小三治はマクラで、最近の食べ物に季節感のないことを嘆いて、トマトの昔の味や、曲がってはいてもパキッとかじるキュウリの歯ごたえについて語った。

お話かわって、小沢昭一さん。 新潮文庫の新刊『旅ゆけば、小沢昭一的こころ』(宮腰太郎さんとの共著)に、「なぜか埼玉、今なぜ買い出し旅」の一章があり、昔の味のキャベツはどうしちまったのか、大問題でありますよ、と飯能農業改良普及所の所長さんに尋ねるところがある。 第一は、品種が良くも悪くも改良されたためで、問題のキャベツにしても年中生産されている。 つまり昔と品種が違う。 それに病気に強いのを作ってきたので、葉っぱはコワイし、味も落ちた。 第二は、化学肥料と連作で地力が低下した。 堆肥をやればいいのだが、あれは手がかかる。 「しかし、有機肥料で土地ィ肥やしとる農家の作物は旨いですよ、ハッ」というのが、その答である。 この本、面白い上に、こうした雑学的発見が随所にちりばめられているのでありまして、日本全国の平均的ダメお父さん必読の、「面白くて、ためになる」きょう日珍しい本なのでありますよ。

ところで、円朝祭で志ん朝の『千両みかん』のすぐ後の中入りに、あたりにプンプン香りをふりまいて、それぞれ二千両ものハウスみかんを食べている親子づれを、見た方があったかもしれない。 あの趣向は、かくいう私の、いたずらである。

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