蔦屋重三郎と深い親戚、八丁堀の石屋〝松芳〟2021/07/10 07:05

 6月22日の「蔦屋重三郎とその時代」から始めて、車浮代の小説『蔦重の教え』(双葉文庫)を読んだのは、6月28日にふれたように、高校時代の同級の仲間の一人が、蔦屋重三郎の末裔であるという話を聞いていたからだった。 彼は戸島幹雄さん、島津製作所を勤め上げた、クラシック音楽とマラソンの愛好家である。 『蔦重の教え』の広告のことをメールすると、関連の資料を沢山コピーして送ってくれた。 父上戸島逸郎さんが画家・グラフィックデザイナーと承知していたから、蔦屋重三郎につながるのは父上かと思っていたら、大正8(1919)年生れ102歳になられる母上美穂さんの田中家の方だった。

 NHKテレビにかつて、鈴木健二アナの司会で『歴史への招待』という番組があった。 「写楽を売り出した男 蔦屋重三郎」の回があり、山本七平(イザヤ・ベンダサン名義の『日本人とユダヤ人』は、私も読んだ)、安達以乍牟がゲスト、蔦屋重三郎の親戚だったということで、戸島美穂さんが出演している。

 昭和58(1983)年11月7日発行の書籍版『歴史への招待』27に記事がある。 美穂さんの先祖は、江戸時代、八丁堀で〝松芳〟という石屋をしていて、その〝松芳〟は蔦屋重三郎と深い親戚の間柄だった。 東洲斎写楽は蔦屋重三郎の厚い庇護のもとに八丁堀に住んでいたのではないだろうか、というのだ。 美穂さんは、父から聞いたつづらの話を覚えていた。 つづらには蔦屋重三郎から預かった浮世絵の版木が入っていて、春画もあったので子供が見るんじゃないと母親にうんと叱られたという。 蔦屋重三郎の兄弟が、〝松芳〟に片付いている兄弟関係だったので、寛政の松平定信の奢侈禁止で闕所になった頃、内緒で預かったんじゃないか、今あれば、大したもんだと美穂さんの亡くなった父が言っていたそうだ。 〝松芳〟にあったつづらは、その後火事で失われて今はない。

 この番組で山本七平は、東洲斎写楽という人物を、「彼(蔦屋重三郎)の工房で、恐らく蔦屋出版部の編集部でごろごろしていた人ではないでしょうか。恐らく一人もしくは数人でしょうね」、蔦重という出版プロデューサーが作り上げた一つの人物であり、作品である、「そこまでは言っていいと思います。それを特定の個人のだれということはひじょうにむずかしくても、そこまでは間違いないと思います。」と語っている。