昭和21年、住友財閥令嬢誘拐事件2024/01/02 07:52

 川本三郎さんが新潮社の『波』に連載している「荷風の昭和」は、微に入り細を穿って、まことに興味深い。 10月号の第65回「「五叟日誌」に見る戦後の世相」。 永井荷風は、昭和20年3月10日早暁の大空襲で麻布市兵衛町一丁目(現、六本木一丁目、麻布台ヒルズの近く)の偏奇館を焼け出され、従弟で長唄の三味線方、前年その次男・永光を養子に入籍していた、代々木の杵屋五叟(大嶋一雄)宅にたどり着く。 中野区住吉町の国際文化アパートに移居して、5月25日の空襲で再度罹災、駒場を経て、明石から岡山へ行き6月28日みたび空襲罹災。 敗戦後の9月1日から、熱海に疎開中の杵屋五叟方に合流。 昭和21年1月16日、杵屋五叟一家とともに、千葉県市川市菅野に移って、そこに二年間寄寓する。

 その昭和21、2年は、まだ日常のなかに戦争の傷跡が残っており、戦後社会は混乱が続いていた。 当時の世相、社会・風俗・人物などが、杵屋五叟の「日誌」(『五叟遺文』1963年・私家版)に、同居した永井荷風のこととともによく描かれている。 その昭和21年9月23日には、当時、世間を騒がせた少女誘拐事件のことが記されている。

 「新聞を賑はせし住友男(注、男爵)の令状を誘拐せし犯人中津川附近不知(注、正しくは、岐阜県の付知(つけち))と云へる処にて捕はる。令嬢は無事を得しと、余不審にに堪へず、該犯人は某工場重役令嬢を先にも七ケ月も誘拐し、北は北海道より九州にかけ逃げ歩き親元より一万五千円をせしめしと報ぜらる。両令嬢とも十二三歳なり。犯人の奸智人に勝れて鮮なるものか、少女を惑はす特異性あるものか、興味ある事なり」

 この少女誘拐事件は、大財閥、住友家の小学六年生の女の子が、鎌倉に近い片瀬にある湘南白百合高女附属初等科の学校帰りに何者かに連れ去られ、行方不明になった。 五叟は、自分にも同じ年頃の娘がいるので、この事件に関心を持って日記に記したのであろう、と川本三郎さんは言う。 五叟が不思議に思ったのは、十二、三歳になろうとする女の子が、犯人のいうままに逃避行を続けていたことだ。 野口冨士男はこの事件を題材に後年、「少女」という小説を書き、『新潮』昭和60年9月号に発表しているが、そのなかで、誘拐された少女が、次第に犯人の青年になついてゆく様子を描いている。 川本さんは、今日でいうストックホルム・シンドロームだとする。 1973年にストックホルムで起きた銀行襲撃事件で、人質が犯人に共感したことから、被害者が加害者に心を寄せる心理をあらわしている。

 犯人は復員兵だった。 黒澤明監督の昭和24年の作品『野良犬』の木村功演じる犯人が復員兵だったように、復員兵が社会復帰出来ずに犯罪に走る例は、戦後の混乱期を象徴する犯罪だった。

 五叟は、3日後の9月26日、金沢に演奏に出かける。 金沢は、京都、鎌倉と同様に、空襲の被害が少なかった町。 三味線の公演の余裕があったのだろう、と川本さんは書いている。 11月20日の当日記に記したように、金沢は能楽「加賀宝生」の町なのである。

 昭和21年9月、私は4歳5か月、少女誘拐事件の新聞を読んだ記憶はない。 昭和24年1月26日の法隆寺金堂壁画の火災は読んでいたのだが…。

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