ビゴー『東京・神戸間の鉄道』から2021/05/14 06:54

 清水勲さんの編著『ビゴー日本素描集』(岩波文庫)は、代表作『日本人生活のユーモア』全5冊の第1巻『東京・神戸間の鉄道』から始まる。 東海道線は明治22(1889)年7月1日、長浜・大津間、米原・深谷間の開通で新橋・神戸間が全通した。 開通当時は一日一往復で片道約20時間を要した。 この年、列車に便所が取付けられた。

 《二等車の乗客たち》 列車は一等・二等・三等とあった。 二等の客は着ぶくれた裕福な人たちで、商家の大番頭、その妻と娘、官吏、将校、高利貸、教師、高利貸の情婦、大商人といったところか、時代のエリートたちで、男は皆、洋式の帽子をかぶっている。 新橋・神戸間の運賃は、二等車は7円53銭で、三等車3円76銭の倍額だった。 明治20年代半ばの巡査の初任給は8円だから、二等運賃は相当高い。

《一等車の乗客たち》 一等は三等の三倍、新橋・神戸間の運賃は11円28銭だった。 華族か、高級官吏か、大実業家か、家族である。 シルクハットの紳士は葉巻をくゆらせ、奥方は気位の高そうなご様子できちんと座っている。 子供は洋服姿だが、当時子供服は目の玉の飛び出るほど高価な輸入品だったので、子供に洋服を着せられるのは富裕階級でなくてはできなかったという。 端にお女中、侍女が畏まって座っている。 設備は二等車とほとんどかわらない、椅子のクッシュン具合とか、脚のデザインが凝っているとかの違いか。

 《十分(じゅうぶん)停車、洗面所は……》 前日、午後6時に新橋を出発した夜行急行の神戸行は朝7時4分に彦根に着く。 ここで約1時間停車し8時に発車する。 この間に旅客は顔を洗い、用便に行き、朝食をとる。 50マイル(80キロ)以上の切符を持っていれば、途中下車が許されるので、駅周辺の飯屋で朝食をとるのだ。 スケッチは、円盤の水の周りで、顔を洗っている人たちと(一人はもろ肌脱ぎ)、小屋掛けの便所で着物の裾をまくって小便をしている人たちだ。