100年ぶりの親族対面 ― 2008/06/29 05:44
ニュージーランドのインバカーギルに上陸した野田朝次郎少年は、その後ど うなったか。 ここで数年間を過したあと、北島に移り、マオリ人の女性と結 婚し、三男二女の子供に恵まれる。 しかし最初の結婚はうまく行かず、別の マオリ人の女性と再婚している。 野田朝次郎は園芸を生業とし、特に苺の栽 培で成功し、財をなした。 そして太平洋戦争最中の昭和17(1942)年初め、 半世紀を過したこの国で亡くなった。 70歳前後だった。
田辺眞人教授は、朝次郎に子孫がいるはずだと、ニュージーランド国内の電 話帳を調べ、北島にノダ姓の一家を見つける。 朝次郎の息子、マーティン・ ノダ(当時92)と入院中のオークランドの病院で会い、その話から長崎の船大 工だった朝次郎の父の出身地が熊本県天草と推測、日本に照会すると、血縁の 者が健在であることが判明した。 長崎と天草は昔から強いつながりがあり、 天草には「長崎奉公」という言葉があって、絶好の出稼ぎ場だったのだ。
平成2(1990)年11月、海を隔てた親族同士の対面が実現する。 朝次郎 の孫で北島のハントリーに住むトーマス・ノダ(68)と、その長女シェリル・ トンプソン(43)が、長崎経由で祖父のルーツの地である天草郡苓北町富岡を 訪れ、朝次郎の甥の野田千次郎(69)ら親族との対面を果した。 熊本日日新 聞は「対面 100年ぶり」の見出しで、トーマスと千次郎が見つめ合う写真を 掲げ、「祖父の魂がここに連れてきてくれた」と涙ながらに語るトーマスに対し、 千次郎は「よく来てくれました」と応じ、二人は何度も抱き合ったと伝えてい る、そうだ。
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