落語と俳句は同じだった2015/03/28 06:34

 米朝さんの『落語と私』(ポプラ社・昭和50(1975)年)は、対象が「中学 年以上」(つまり小学生向け)というポプラ・ブックスの一冊だが、あらためて 読んでみると、なかなか程度が高くて密度が濃く、私のように長く落語を聴い てきた者にとっても、なるほどと思えることが随所にある。

 たとえば落語が、講談や浪曲、漫談などの他の話芸と違うところを述べてい る。 本来、講談は、講釈師が聞き手にしゃべって聞かせ、説明してゆく話芸 なのだ。 「文政十一年六月、風が死んだような暑い日盛り、年の頃、二十五、 六の目つきのよくない男が、まくりあげた左の腕には刺青(いれずみ)がチラ チラのぞいて……、右手で荒荒しく格子戸をあけると、『御免よっ』とはいって 来た……」てな調子になる。 それを落語は、まず「御免よっ」というところ からはいる。 そして、あとのやりとりの間に、それが夏の暑い日盛りのこと で、その男が二十五、六のがらのよくない、ひとくせありげな人間であること を、表現してゆく。 いいかえると、説明と表現の違いとでもいうか、と。

 ここで、私が連想したのは、俳句の本井英先生にいつも言われることだ。 俳 句は、説明してはいけない、と。 俳句は、落語と同じだったのだ。 このこ とについて、前に別のところに書いたものがあるので、長くなるが引いておく。

本井英先生の『夏潮』は、近代俳壇を代表する高浜虚子の唱えた「花鳥諷詠」 を信奉し、ひたすら虚子を求め、さらに虚子の求めた彼方を探る、姿勢と立場 をとっている。 昨年11月、本井英先生が慶大俳句「丘の会」で行った「表 現と諷詠」という講演記録が、『夏潮』2014年11月号に載った。 虚子は「諷 詠」をこう言った、と語っている。 「諷詠」というのは心に思ったことを、 そのまま叙する。 あるいは心に思った相手への慮りを素直に述べることで、 「挨拶ならざる俳句はない」と言っても好いかもしれない。 また、詩にはリ ズムがなければいけない。 調子がなければいけない。 意味を運ぶというよ りも、心の中にある気のようなものが、自ずから口を衝いて出て来る。 そこ に言葉の好いリズム感が生まれる。それが、実は俳句の本質なんだ、というこ とを。 これは折口信夫が奇しくも「最も純粋な日本の詩歌は無内容のものこそそう だ」と言ったのと同じで、「無内容」あるいは「構えたものでない」ということ が、一番大切なのだ、と。 一方、「表現」は、あるはっきりしたものが事前に 頭の中にあって、それを言葉で組み上げて他人に理解させようとする。 「諷 詠」は、そうではなくて、自然に「ぱっと」出て来てしまった言葉だろう、と。

こういう例が挙げられている。 虚子は戦前、室戸台風が関西で暴れている 頃、鎌倉の八幡様を吟行していて、<大いなるもの北へ行く野分かな>と詠ん だ。 虚子の頭の中には天気図があり、これでは知識の句、理屈の句で「諷詠」 にはほど遠い。 「作りもの」だと気がついた虚子は、一年後に推敲し、<大 いなるものが過ぎ行く野分かな>とした。 こうなると、「作った」形跡が見え ず、つまり推敲によって「諷詠」にしてしまった。 本井先生は、そこには時 間軸が入ってきて、『源氏物語』以来の昔の人の味わった「野分」の気分が、い きいきと蘇える、と言う。

俳句は、詠んだだけでは半分、連衆に読み解いてもらって、はじめて一句に なるという。 落語も、演者がひとりでしゃべっているだけではなく、それを 聴いて反応する聴衆がいて、その場に一期一会の、一つの世界が醸成される。  その点も、俳句と落語は同じだといえるのではないだろうか。