社会の中で「役割」「職分」を獲得して生きる2015/09/30 06:34

 中島岳志さんは、人間は社会の中で役割を演じて生きており、その役割を剥 奪されたとき、人はアイデンティティを失う、と言う。 そして福田恆存の『人 間・この劇的なるもの』を引く。 我々は、いまここで生きている自分が、歴 史的に構成された社会や共同体の中で意味ある存在として「存在している」こ とを認識する。 自己には他者との関係性の中で果たさなければならない役割 があり、その役割を果さなければ「他に支障が生じる」という「実感」が生を 支える。 この時間と空間の接点で「所を得る」ことが、トポス(自らの場所) を獲得するということである。 トポスを剥奪された人間は、居場所も出番も 喪失し、アイデンティティを見失う。

 福沢諭吉は『学問のすゝめ』の中で、次のように言う。 「人の生るるは天の然(しか)らしむるところにて人力に非ず、この人々互 いに相敬愛して各その職分を尽し互いに相妨ぐることなき所以(ゆえん)は、 もと同類の人間にして共に一天を与(とも)にし、共に与に天地の間の造物な ればなり。譬えば一家の内にて兄弟相互に睦しくするは、もと同一家の兄弟に して共に一父一母を与にするの大倫あればなり。/故に今、人と人との釣合を 問えばこれを同等と言わざるを得ず。ただしその同等とは有様の等しきを言う に非ず、権理道義の等しきを言うなり。」

中島さんは、福沢は「存在の根源的な平等性」に注目し、人間は等しく「天」 によって命を与えられた存在で、存在そのものは平等であるけれど、人の「有 様」はそれぞれ異なり、「職分」の重要性を強調した、とする。 異なる人間が 「互いに相妨」げることなく生きているのは、それぞれの役割を果し合ってい るからで、自分の場所を確保し、互いに貢献し合って生きているからこそ、社 会は動いている。 社会の中で「職分」を獲得して生きることこそが、高次の 平等を生み出すと、見なしている、と。

中島さんは、自殺、幼児虐待、無縁死、高齢者の所在不明、引きこもりなど、 近年、日本社会で噴出している問題は、その多くが共同体の空洞化と連続して いる、と言う。 社会との関係性が希薄化し、人々が孤立化する中、実存の底 が抜けて、アイデンティティが溶解している。 我々は、システムやマーケッ トに依存しすぎた。 他者との関係性やコミュニティを軽視しすぎてきた。 そ して、東日本大震災が起きた。 システムは脆いものだった。 次々に「想定 外」のことが起こり、「絶対安全」と言われてきたものが崩壊した。

地道だが、自分の手の届く範囲で、共同体を再構築しなければならない。 天 下国家に対する大言壮語を繰り返すよりも、自己の家族や共同体と向き合わな ければならない。 そこから始めるしかないと、中島岳志さんは説くのだ。

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