「船中八策」は偽文書とする研究2018/02/07 06:39

 昨日書いた坂本龍馬の「新政府綱領八策」だが、それ以前の「船中八策」と いうのが有名である。 まず『日本歴史大辞典』の記述を引く。 「坂本龍馬 が長崎から大坂に向かう船中で構想したという議会制国家に進むための手順。 薩摩と長州が武力倒幕に傾くのに対し、土佐藩の独自性を模索していた後藤象 二郎は1867年(慶応3)長崎から藩船夕顔で海援隊の隊長坂本龍馬と書記長岡 謙吉(1836-1872)を伴って上坂。その船中で龍馬が(1)幕政返上、(2)議会 開設、(3)人材登用、(4)外交刷新、(5)法典整備、(6)海軍拡張、(7)親兵 設置、(8)幣制改革の8策を練り、長岡謙吉に筆記させた。ただし成文化の完 了は上陸し入京したあとらしい。在京の土佐藩重役はこれに基づいて大政奉還 建白の構想を固め、後藤が帰藩して実力者山内容堂の同意を取り付けた。〈松浦 玲〉」

 「等々力短信」第1101号 2017.11.25.「『西洋事情』の衝撃」で紹介した平 山洋さんの『「福沢諭吉」とは誰か』(ミネルヴァ書房)は、『西洋事情』が維新 前後の思想界に甚大な影響を与えた、と指摘していた。 慶應3年(1867)5 月の赤松小三郎(信州上田藩兵学者、薩摩藩兵学教授)「口上書」から山本覚馬 「管見」まで、大政奉還を挟んでの約1年間に書かれた新体制に向けての提言 や、坂本龍馬の「新政府綱領八策」、明治新政府から出された由利公正ら立案の 「五箇条の誓文」や福岡孝悌ら起草の「政体書」といった重要文書が、ことご とく福沢諭吉の著作、とりわけ『西洋事情』初編の強い影響を受けていたこと を、それぞれ例証している。 そこに出てきた、坂本龍馬の「新政府綱領八策」 と「船中八策」についてみてみたい。

 平山洋さんは、「船中八策」は偽文書であるという最近の研究を紹介している。  2013年2月に刊行された知野文哉著『「坂本龍馬」の誕生――船中八策と坂崎 紫瀾』(人文書院)は、「船中八策」は、龍馬直筆の文書として残っている「新 政府綱領八策」に、前段として大政奉還論を付け加え、さらに整理した偽文書 であるとした。 いわゆる「船中八策」は、明治29(1896)年に民友社から 出版された弘松宣枝著『阪(ママ)本龍馬』で紹介されている「建議十一箇条」 のうち初めの八条に相当しているという。 作者の弘松は龍馬の長姉千鶴の孫、 近しい親戚だから「新政府綱領八策」の存在や内容を知っていたとしても不思 議ではなく、大政奉還前に策定されたという「建議十一箇条」なるものを伝記 に盛り込むことも可能だったとする。

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