あるクラスメイトの訃報2018/11/17 07:15

 クラスメイトの訃報は、ズシンとこたえる。 広瀬章さんが3月4日に亡く なっていたことを、娘さんからの年賀欠礼の葉書で知った。 実は、彼には毎 月「等々力短信」をメールで送っていて、メールアドレスはそのままなのか、 「不達」の表示は出なかった。 今年の年賀状を見たら、「いつも情報を有難う」 という添え書きがあったのに…。

 名門“熊高”、熊本高校の出身、経済学部U組で一緒になった。 いかにも熊 本から来たという朴訥な感じの人で、日吉の寮にいた。 住友金属工業とその 子会社を勤め上げた後、定年後の生活をエンジョイする見本のような報告をク ラス会のたびに聞かされた。 2002(平成14)年には、お住まいの千葉県柏 市で対象750世帯ほどの自治会長を務めて、「近所の人との付き合い」「老人問 題」等々色々と考えさせられる、という一方、まだ健康でテニス(週2~3回) ゴルフ(月2~3回)を楽しんでいるとか、退職後始めたピアノはなかなか上 達せず、苦労していて、「大きな古時計」「北の国から」等を練習しているとか、 言っていた。 その後、発表会で演奏したという話もあった。 2003(平成15) 年には、健康に恵まれ、テニス、ゴルフや旅行を楽しみ、8月、立山で雄山(3003 m)を登頂、9月~10月、2週間ドイツ、オーストリア旅行をしたと聞いた。  最近のおすすめを尋ねたら、テニスクラブの仲間と秘湯の旅で行った法師温泉 (群馬)、二岐温泉(福島)、図書館で見つけた楽しい本、アイス・ニン『小鳥 たち』と答えていた。

 2009(平成21)年7月4日の「等々力短信1000号を祝う会」に来てくれた。  メッセージに、学生時代の思い出はないが、1989(平成元)年の朝日新聞日曜 版の記事で私の顏を見て、「等々力短信」を知って手紙を書いて以来だとある。  2010(平成22)年に奥様を亡くされ、娘さんと二人の生活になった。 う ろ覚えだが、娘さんのお弁当をつくっているという話を聞いたような気がする。  2013(平成25)年には、あいかわらず元気でテニスやピアノを楽しみ、4年間 務めた「生涯現役ときわ会」(柏・松戸・我孫子・流山4市で会員約300名) の会長もやっと後継者に譲り、落ち着いた毎日だという、メールをもらってい た。

一昨年2016(平成28)年4月の熊本地震の時には、『私のふるさと 熊本の 大地震』という写真入りの一文を送ってくれた。 柏に住んで40年近くなる けれど、18歳まで育った熊本が“私のふるさと”であり、甲子園の高校野球 は熊本を応援し、国政選挙の結果なども、千葉よりも熊本の方が気にかかる。  典型的な熊本県人である、というのだった。 生まれ故郷は「玉東町」(旧 木葉村)で熊本市の中心部から約20km程の山村で、近くに西南戦争で有 名な“田原坂”があり、小学校の春の遠足地だったそうだ。 震源地から約 30km近く離れているので、お姉様や身内の方の住む築120年の生家は大 きな被害はなかったという。 中高時代の友人達にも連絡を取ったが大事無 かったとある。

翌5月の21日、パシフィコ横浜で行われた卒業51年以上塾員招待会の後、 中華街の菜香新館で開いたクラス会で、お会いしたのが最後になった。 ご冥 福を祈る。

コメント

_ 斎藤勝弘 ― 2018/11/17 16:27

広瀬氏とは住金同期入社で、大学同窓(私は工学部)、実習時代を一緒に北九州で過ごした仲で、50年来の友人です。馬場さんとは彼の紹介で、一度、3人で食事をご一緒させて頂きました。今回、この一文を拝読し、実に彼の話をよく覚えておられ、大変感心しました。娘さんにも、この一文を転送しました。私は、このブログをいつも拝読しております。今後ともこのブログを楽しみにしています。

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