室町幕府第十三代将軍、足利義輝 ― 2020/04/07 07:12
『麒麟がくる』で向井理がやっている足利義輝、天文5年(1536)の生れだ から、天文15年(1546)細川晴元らに擁立されて、将軍職を譲られ、室町幕 府第十三代将軍となったのは数え11歳の時だった。 当初は父義晴の補佐を 受ける。 天文16年(1547)、細川晴元と畠山正国の争いに、畠山にくみした ため、細川勢に洛北の北白川城を攻められ、父義晴とともに近江坂本へ逃れた のち晴元と和し、翌17年6月帰洛した。 しかし翌18年(1549)晴元が家臣 三好長慶と摂津に戦って敗れたため、義晴父子は晴元とともに再び坂本に移る。 天文19(1550)年5月4日義晴が病没したので、義輝が家督を継いだ(数え 15歳)。 天文20年(1551)三好氏の近江侵攻により、坂本からさらに北の 山中の高島郡朽木に移った。 天文21年(1552)には三好氏との和約が出来、 一時帰京するが、まもなく朽木に戻る。 朽木幽居の間、秀隣院庭園(国指定 名勝)を造営し、俗説では塚原卜伝に剣術を学んだといわれるが不詳。
永禄元年(1558)(数え23歳)六角義賢の尽力で長慶と和して京都に帰還。 交戦中の戦国大名間に和議を勧めるなど将軍権威の回復に努めた。 還京後は、 単なる長慶の傀儡に甘んぜず、幕府の首長として、三好政権に抵抗の姿勢を続 けたため、松永久秀らに警戒され、長慶死去の翌永禄8年(1565)5月19日 暗殺された。 義輝は数え年で30歳になったばかりだったから、いかにも若 い。 義輝が殺害されたのち、越前の朝倉義景に仕えて40代で歴史に登場す る明智光秀との、年齢の差が際立つ。 この足利義輝晩年の、将軍権威の回復に努めた姿勢を、池端俊策さんが『麒 麟がくる』のメインテーマに取り込んで、響かせたのであろう。
最近のコメント