武藤山治、与謝蕪村、武藤金太、澤木四方吉2020/05/04 07:00

 4月25日の「等々力短信」第1130号に「武藤山治の先見性」を書いた。 そ こで読んだ武藤治太著『武藤山治の先見性と彼をめぐる群像~恩師福澤諭吉の 偉業を継いで~』の(結)第四章 言論人・文化人・武藤山治に、四 与謝蕪村 がある。 武藤山治は、明治・大正期にほとんど評価されなかった与謝蕪村の 絵の品格と面白さに興味を抱き、蒐集研究した(尾形乾山も同じく)、大正11 (1922)年に出した研究書『蕪村画集』は蕪村研究書の第一号とあった。 そ れで、芳賀徹さんが与謝蕪村に関して書いておられる本、『與謝蕪村の小さな 世界』(中公文庫)と『絵画の領分』(朝日新聞社)の索引や参考文献をざっ と見てみたのだが、「武藤山治」も、『蕪村画集』も見つからなかった。 ち ょっと不思議で、それを直接芳賀徹さんにお尋ねできなくなったことが、まこ とに残念だ。

 福澤諭吉協会の秋田旅行以来、懇意にしていただいている畠山茂さんから、 武藤山治にまつわるメールを頂いた。 登場するのは、武藤山治の長男・金太 (きんた)さんとそのご子息、取り上げた本の著者、治太(はるた)さんであ る。 畠山茂さんは、『福澤手帖』179号(2018年12月)に「澤木四方吉」 をお書きになったが、その中の「愚鈍を許さぬ美術史教室」に、澤木教授の学 生だった金太さんが回想している峻厳な美術史教室の風景を引用していた。  澤木の十三回忌に『三田文学』昭和17(1942)年11月号に寄せられた文章だ という。 澤木教授の学風は厳格を極め、教壇から発せられる言葉は、白刃の ごとく室内の空気を切り裂いた、と振り返っている。 金太さんは、理財をお えてのち美学美術史に再入学した(大正5年すぎ)のだそうだ。(この件につ いては、明日、別の資料で触れたい)

 畠山茂さんのメールには、3~4年前、武藤治太さんから慶應義塾に、古代ギ リシャの男性頭部の大理石作品が寄贈された、とある。 父の金太さんが欧州 留学の際、ロンドンで買い求め、澤木先生を偲んで大事に持ち帰ったもので、 長く武藤家にあったが、先を考えると、父の思いとともに澤木先生のいた塾に あるのがふさわしい、「武藤金太が澤木四方吉先生をおもい真正の古代作品を 入手した。それを寄贈したのだと明記してほしい」との申し出があって、受贈 したのだそうだ。 現在は、南校舎3階の萬來舎の入口に展示されている。