「国を支えて国を頼らず」の出典は?2020/05/25 07:03

 大学同級のО君から、質問のメールが来た。 このところコロナ対策を新聞 などで読んでいたら、福沢諭吉の「国を支えて国を頼らず」の言葉に当った。  北康利が本のタイトルにしているだが、出典はどこにあるのか、独立自尊と同 義のようだが、少し違う表現なので原典を知りたい。 現在の国民の大半は従 順だが「そのうちなんとかなるだろう」という予定調和を信じ過ぎているよう にも思い、どこでどんな時に福沢諭吉の発した言葉だろうか、と思っている、 というのである。

 福沢諭吉についての耳学問を、知ったかぶりしていると、時々こういう質問 が来る。 私は一応、本棚にあった北康利著『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』 (講談社)をパラパラやり、『福澤諭吉事典』のVことばの「文明」「立国」「処 世」をざっと見てから、こう返信した。

 私の知る限りでは、「国を支えて国を頼らず」は福沢諭吉の発したり、書いた りした言葉ではありません。 恐らく北康利という人が本を出す時に、福沢諭 吉という人物と思想を総括する言葉として、タイトルに考え出したのだろうと 思います。  福沢は、ご存知のように、「一身独立して一家独立、一家独立して一国独立、 天下独立」と主張しました。 明治維新後の福沢の最大の関心は、「民」(新し い形の日本人)の創出でした。 一身独立した「民」は、精神的に自立し、経 済的にも自立していなければならない、と。 独立した「民」は、「国を支え」、 精神的にも経済的にも、「国に頼らない」ということなのでしょう。

 О君から返信があり、どこで読んだか調べ直してみたら、雑誌『致知』6月 号に東洋学園大客員教授織田邦男氏(おりた、元空将)が寄稿した「新型コロ ナに打ち克つ危機管理の要諦」にあり、テレビ番組で「自宅待機になったら何 をしたらよいか判らない」とか「補償をしてもらえるのか」という発言がある ことを批判して福沢諭吉の言葉として引用していた、とのことであった。

Stay Homeに時代小説<等々力短信 第1131号 2020(令和2).5.25.>2020/05/25 07:05

 新型コロナの引き籠りに、積ん読だった乙川優三郎さんの時代小説『喜知次』 (徳間書店)を読んだ。 中藩十二万石は、日向の延岡から北350里(1400 キロ)というから東北地方、藤沢周平の海坂藩の近くか。 藩主淡路守政泰の 嗣子政勝は、正室でなく側室の子で、藩政の実権を握るが腐敗無策の佐分利派 と、改革を目指す織戸派との間で、生母を味方につけようとする権力闘争があ る。 江戸屋敷の火災と、渡良瀬川改修普請の国役のため、藩財政は火の車、 凶作や水害が重なると、さらに厳しい事態となる。

 物語は藩校知明館に通う三人の少年の成長を追う。 五百石取の物頭、祐筆 頭日野弥左衛門の子・小太郎、郡奉行牛尾邦之助の次男・台助、郡奉行の下役 郡方鈴木瀬兵衛の子・猪平(いのへい)、身分は違うが仲が良い。 父が江戸詰 の日野家に、小太郎の半分六歳の花哉(かや)が妹としてもらわれて来る。 小 太郎は嬉しくて、つい「花哉はまるで喜知次のようだな」と、口を滑らせる。  くるりとした大きな目と赤い頬が、成魚はアカジとも呼ばれる、土地ではあり ふれた魚に似ていたからだ。

 領内で一揆が起き、鎮圧に向かった鈴木瀬兵衛が命を落とす。 藩は首謀者 らを断罪し、双方に死者を出すことで、一揆を鎮静した。 猪平は遺知の半分 を継ぎ、組屋敷を出る過酷な扱いを受ける。 だが、織戸派の間諜だった瀬兵 衛は打毀しで死んだのではなく、背後から味方に斬られたと判る。 織戸派が 一揆の長引くのを恐れて、筆頭家老罷免の上意を取り付けようと江戸へ密使を 送ったのが、佐分利派に洩れたのだ。

小太郎十六歳、農事を改め歳入を増やす藩政改革を考えるようになっていた。  父は小太郎元服の烏帽子親に佐分利家老の親族を頼む。 花哉は十歳、父の勧 めで村井貞子女史の私塾で国学を学び、さりげないところで育ちの良さを感じ させる美しい娘になり、自然と兄妹の情愛が生まれていた。 元服して弥平次 となった小太郎は、藩政を思って祐筆の道でなく郡方を志望する。 佐分利・ 織戸両派の対立は激化し、暗殺の応酬となった。 台助の父牛尾邦之助(織戸 派)が暗殺され、猪平の父を斬ったのと同じ刺客だと判明する。 父・弥左衛 門は、両派の和解に動いていたらしく、両派の駆け引きが殺し合いから交渉の 場に移る。 執政を目指す弥平次は、二十一歳で郡奉行になった。

 御政道不行届で、延岡五万石に国替えとなる。 弥平次が妻にと求めたのを 断わっていた花哉は、あくまで村井塾に残ると言い張る。 入部して、弥平次 は三十二歳で勘定奉行に昇るが、弥左衛門が急逝、妻を娶り子を二人儲けた。  死期の迫った母初が、弥平次は養子で、花哉は父が江戸詰で身の回りの世話を した女性に産ませた実子だと、打ち明ける。 私は山本周五郎の『小説 日本婦 道記』「墨丸」を読み返した。