靖国神社への臨時列車と山口誓子2020/05/10 07:17

 原武史さんの『歴史のダイヤグラム』に戻ろう。 2月8日は「誓子と靖国 への臨時列車」。 日中戦争から太平洋戦争に至る時期、靖国神社では毎年4 月と10月に戦死した将兵を祭神に合祀する臨時大祭が行なわれた。 これに 合わせて全国から遺族が選ばれ、列席するため、鉄道省が交付する無賃乗車証 をもち、遺族専用臨時列車に乗って続々と上京した。 1943(昭和18)年4 月22日から始まった臨時大祭では、約4万人の遺族が列席した。 このうち 三重県の遺族は、東海道本線、関西本線、参宮線を経由して東京と鳥羽の間を 結ぶ臨時列車を往復とも利用している。

 その帰路、4月28日午後10時25分東京駅発の臨時列車は、主要駅だけに 停車したようで、停まらない駅に帰る遺族は29日の午前6時に名古屋に到着 したところで、定期の普通列車に乗り換えた。 当時のダイヤで、関西本線名 古屋6時25分始発湊町(現・JR難波)ゆきの普通列車がある。

 その列車は長島から三重県に入り、7時11分頃に富田(とみだ)に着いた。  この駅から、地元在住の俳人、山口誓子が乗ってきた。 松尾芭蕉の出身地で ある伊賀上野を、俳人仲間とともに訪ねるためだった。

 「私達の乗つた二等車には、靖国神社の大祭に参列して帰つて来た遺族が乗 つてゐた。息子を失くした母親達の顏にも、外から見ては、悲しみの片影だも なく、たゞお互ひが郷土を同じうしてゐるといふ親しみの為めに一種の和やか さが私には却つて悲しく思はれた」(『山口誓子全集』第十巻)」

 河原田、加佐登(かさど)、井田川と普通列車が停まるたびに、彼女らは一人、 また一人と降りていった。  「中に、磨かれたやうに美しく年をとつた婦人がゐて、私は屢々そのひとの 方へ眼を遣り、そのひとのしづかに話す艶のある声を聞いたりなどしてゐたが、 そのひとも傍の人々に『来年又お目にかゝります』と云つて、どこかの駅に降 りて行つた」(同)

 原武史さんは、そう引用して、その婦人の言葉には、来年もまた遺族として 臨時大祭に参列する覚悟のようなものがうかがえる、その心の奥に隠された悲 しみを見逃さない俳人の観察眼にうならされた、と結んでいる。