「神器の剣、敗戦後の往還」2020/05/07 07:05

 原武史さんの『歴史のダイヤグラム』、11月30日は「神器の剣、敗戦後の往 還」だった。 名古屋市の熱田神宮は、「三種の神器」の一つである草薙剣を祀 っている。 これとは別に剣のレプリカが、八尺瓊勾玉と一緒に天皇の住む御 所にあり、合わせて「剣璽」と呼ばれていることは、昨日も触れた。 「剣璽」 は天皇の外出とともに動かす場合があり、これを「剣璽動座」という。 だが 原則として、熱田にある剣の本体を動かすことはない。

 ところが、かつて一度だけ、剣の本体を動かしたことがあった、というので ある。 時は太平洋戦争末期の1945(昭和20)年7月31日。 昭和天皇は内 大臣の木戸幸一に、「伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りする のが一番よいと思ふ」「信州の方へ御移することの心組みで考へてはどうかと思 ふ」などと述べた(『木戸幸一日記』下)。 来たるべき本土決戦に備え、天皇 は伊勢神宮に祀られている八咫鏡の本体と、熱田剣の本体を、「自分の身近」に 移そうと考えていたのだ。

 天皇の言う「信州」は、当時建設が進んでいた長野県の松代大本営を指して いるのだろうが、実際には天皇が東京を動くことはなかった。 一方、鏡の本 体と剣の本体は、松代でなく伊勢や熱田により近い岐阜県の水無(みなし)神 社に移すことになったが、それが実現しないうちに敗戦を迎えてしまう。

 8月15日の敗戦によって、神器を移す必要はなくなったはずだ。 実際に鏡 の本体は動かなかった。 ところが剣の本体は、『昭和天皇実録』によれば、 1945(昭和20)年8月22日に、熱田神宮から水無神社に移している。 水無 神社は、JR高山本線の飛驒一ノ宮駅の近くにあり、島崎藤村の父で、『夜明け 前』の主人公、青山半蔵のモデルとされる島崎正樹が宮司をしていた神社とし て知られている。 「新調の外箱に神剣を奉納し、御名御親筆の勅封紙と麻に て厳封の上、さらに勅使たる侍従の封を施した後、従来御奉納の外箱中に奉安 し、施錠する」厳戒態勢で運んだ。 熱田は伊勢と違って名古屋という大都市 にあり、占領軍に神器を奪われるのを恐れたのかもしれない。

 熱田神宮から水無神社までの移動に際しては、陸軍東海軍管区司令部が協力 した。 おそらく剣の本体は、軍用車で運ばれたのだろう。 しかし熱田神宮 に戻された同年9月19日には、武装解除がすでに進んでいた。 復路もまた 往路同様、車で運ばれたという証言があるが、必ずしも記憶が正確でないのだ そうで、原武史さんは、飛驒一ノ宮から熱田まで、高山本線と東海道本線を走 る普通列車で運ばれた可能性も捨てきれない、とする。

 そして、敗戦直後の混乱のさなか、どの列車も込み、窓も敗れていただろう。  そうした列車に神器が乗せられ、無事に熱田まで戻ってきたとすれば、まさに 奇跡としか言いようがない、というのだ。