「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」展2011/07/25 05:30

 チケットを頂いたので、サントリー美術館の「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」 展、家内とその友達の三人で見てきた。 4月に見た「夢に挑むコレクション の軌跡」に続く、開館50周年記念「美を結ぶ。美をひらく。」四つの展覧会の 第IIである。 行くまでこのテーマの意味がよくわからなかったのだけれど、 瑞鳥と霊獣、「桐に鳳凰」「唐獅子に牡丹」の切り口で、各時代のものが一堂に 集められているのを見て、なるほどと納得した。 いずれも宗教・儀礼や民俗・ 芸能に広く深く取り込まれ、それぞれ祝儀にふさわしい高貴なシンボルとして、 繰り返し絵画や工芸の意匠となってきた。

 入口にサントリー美術館蔵の「祇園祭礼図屏風」(江戸時代・17世紀)があっ たが、山鉾巡行の終わったばかりの、あの鉾や山に下げられた織物には鳳凰の 絵柄などもあり、「鳳凰と獅子」は、日本文化全般におけるハレの場面と、密接 に関わっているのであった。  京都・鹿苑寺の金閣の上にあった「鳳凰」(室町時代)、尾の部分が壊れて、 下ろしてあり、昭和25(1950)年に放火で焼失した際、唯一の遺物となったとい う。 目の前で見ると、頑丈な脚で立派に、すっくと立っているのだった。

 狛犬があるのが不思議だったが、『広辞苑』にも「高麗犬の意で、一対の獅子 に似た獣の像」とある。 獅子舞と狛犬の、守護獣としての歴史は、正倉院の 頃から始まるものだそうだ。 そうすると、沖縄のシーサー(獅子さんの意、だ そう)も、展示に加えてもよかったのではないかと思った。

 国立劇場大劇場のロビーにある、平櫛田中の「鏡獅子」の小型のものが展示 されていた。 六代目尾上菊五郎をモデルにした制作過程の映像は、たびたび 見たことがある。 平櫛田中は最初、六代目が裸でポーズしている像から彫っ た。 昭和15(1940)年の完成だから、六代目は50代半ばだったが、立派な体 格だった。 三田完さんの『草の花』(文藝春秋)にも、二十二貫(82.5kg)と恰幅 のよかった六代目が、『藤娘』を踊るとき、おのれの身体が大きく見えないよう に特注の巨大な藤の花をわざわざ道具方にこしらえさせたという逸話が出てく る。

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