江戸の園芸ブームと朝顔2013/08/04 06:15

 『花開く江戸の園芸』という展覧会が、7月30日から江戸東京博物館で始ま った(9月1日まで、月曜休館・ただし8月12日は開館)。 俳誌『夏潮』に 「季題ばなし」を連載した第二回、2010(平成22)年9月号に「朝顔」を書 いた。 江戸の園芸ブームと、入谷の朝顔市について、触れていた。 以下に、 その部分を引く。

 二百数十年平和が続いて、江戸時代は園芸ブームであった。 菊坂の菊畑、 新宿百人町鉄砲組百人隊のツツジの栽培など、花作りを副業にする武士も多く、 麻布や巣鴨の御家人たちも花を栽培して市場に出していた。 時代ごとに人気 の花が変化して、元禄のツツジ、正徳のキク、寛政のカラタチバナ、そして文 化文政のアサガオ・ブームが来る。 人々は品種改良を重ねて変化アサガオを 競った。文化5、6(1808、09)年頃、下谷御徒町に住んでいた大番組与力の 谷七左衛門、朝顔が好きで、その変種を作って楽しみ、並べた細竹に蔓をから ませ、極彩色の屏風を立てた形にした。 人々は「朝顔屋敷」と呼んで見物に 集まった。 七左衛門から種を分けてもらって、あちこちの空地で朝顔の栽培 が始まり、「下谷朝顔」は江戸名物になった。

 ここ十年ほど毎年、新暦の七夕に開かれる入谷鬼子母神の朝顔市へ行く。 早 朝から、たいへんな混雑だ。 近年は一鉢定価二千円、これでひと夏楽しめる。  朝顔の鉢を提げて電車に乗り、入谷から遠く離れるほど、みんなが見る。 江 戸の名残の、季節の風物詩という感じが色濃いが、入谷の朝顔市、江戸から連 綿と続いているわけではない。

 七左衛門の「下谷朝顔」が元祖で、下谷から入谷にかけて大輪の花を咲かせ ることが流行った。 しかし天保改革から幕末には朝顔どころではなく、いつ の間にか廃れ、忘れられた。 それが明治の初めに「入谷」で復活、明治25 (1892)年前後に最盛期を迎え、十数軒の植木屋が朝顔の異種を競った。 明 治末年からは、この辺りが市街地になって、途絶える。 鬼子母神真源寺境内 を中心に「入谷の朝顔市」として復活したのは、昭和25(1950)年のことだ った。 真源寺は戦後の地番改正で下谷一丁目、「入谷」ではないのがややこし い。 万太郎の句は昭和19年作。

 入谷から出る朝顔の車かな     正岡子規

 暁の紺朝顔や星一つ        高浜虚子

 あさがほやはやくもひゞく哨戒機  久保田万太郎