信長の鉄砲玉にタイ鉱山の鉛2020/07/13 07:05

9日に見ていなかったと書いたNHKスペシャル「戦国~激動の世界と日本」(第1集)「秘められた征服計画 織田信長×宣教師」を見ることができた。 「ヨーロッパの16世紀の文書が公開され、信長・秀吉と、来日したキリスト教宣教師、そして背後にいたポルトガルとスペインとの深い繋がりが見えてきた。それぞれの思惑と、熾烈な駆け引きを描く。」という番組である。

日本の戦国時代(1467年応仁の乱~1615年豊臣氏の滅亡)は、世界的には大航海時代と、キリスト教世界布教の時代と重なっていた。 16世紀の文書というのは、バチカン市国イエズス会ローマ文書館の宣教師たちの報告書などである。 フランシスコ・ザビエルに始まる、日本にやってきた宣教師たちは、当時の超大国スペインが全世界をキリスト教国にする使命を持っていた。 ザビエルから三代目のリーダー、フランシスコ・カブラル(眼鏡を知らなかった日本人は「四ツ目のカブラル」と呼んだ)は日本全国のキリシタンからの情報網を持ち、1572(元亀3)年に将軍の暗殺計画のあることもつかんでおり、戦国武将(大村純忠、毛利輝元、大友宗麟、武田勝頼、徳川家康)と接触を試みていた。 そして、織田信長について、もともと弱小国の武将ながら、鋭い判断力と慎重さを持つと高く評価して、1572(元亀3)年岐阜城を訪問、会談した。

1575(天正3)年、織田対武田の長篠の戦いは、鉄砲対騎馬軍団の戦いといわれているが、武田家の文書には武田も鉄砲を使っていたとあり、鉄砲対鉄砲の戦いでもあった。 両軍の鉄砲の差は、どこにあったか。 愛知県新城の長篠の戦いの合戦場から、信長軍の鉄砲玉が出土する。 当時貴重だった鉛が使われていて、平尾良光帝京大教授は、その化学分析から4000km離れたタイの鉱山の鉛と成分が一致すると言う。 この鉛の鉄砲玉が、信長躍進の鍵となった。 鉛は、カブラルの命令で、布教を後押しするため日本に運ばれた。 カブラルは信長に、「天下統一したければ、キリスト教の布教を支援せよ」と伝えていた(ペドロ・コレイア リスボン大学歴史センター教授)。

 日本への軍事物資は、ポルトガルの交易船で運ばれた。 2014年、オマーンでのポルトガルの沈没船調査では、大量の鉄砲玉と銃が発見されている。 ヨーロッパ製の鉄砲が、戦国武将の懐に入り込んでいたのだ。

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