E・S・モースと江ノ島の腕足類研究実験所2020/11/09 07:00

 大森貝塚を発見した動物学者で後に日本研究家となるエドワード・シルベスター・モースはアメリカ人、1838(天保9)年6月18日にメーン州ポートランドで生まれた。 ハーバード大学の新ハーバード博物館でL・アガシー教授の学生助手として動物学を学ぶ(1859~1962)。 ピーポディー・アカデミーの主事(1868~1871)、メーン州立大学(1870~1871)、ボードウィン大学(1870~1873)、ハーバード大学(1872~1873)などの比較解剖学と動物学の教授を歴任した。

 1877(明治10)年(39歳)、腕足(わんそく)類研究のために来日、横浜から東京へ向かう途中、線路の切り割りの貝殻の堆積から大森貝塚を発見し、秋からその学術的発掘調査を開始した。 画期的な報告書Shell mounds of Omori(1879年刊、邦訳『大森介墟古物篇』)を刊行、日本の考古学、人類学に道を開いた。 東京大学の招請を受け、同大動物学生理学教授(1877~1879)となり、日本人学者の養成にあたる。 またダーウィンの進化論を初めて紹介した。 モースの来日は、サムエル・コッキングがこの年流行したコレラの消毒薬として石炭酸を大量に輸入した年であり、江の島に腕足類研究のための実験所をつくるのは、コッキングが江の島頂上部の土地を購入した1880(明治13)年の3年前になる。

 1880(明治13)年帰国後ピーポディー博物館長(1880~1914)、同名誉館長(1914~1925)。 1882(明治15)年再来日し、陶器の蒐集と日本の制度や風習を研究、蒐集した4646点の代表的な日本陶器はボストン美術館に収蔵された。 日本の学問と文化に貢献した功績で、勲二等瑞宝章を授けられる(1922(大正11)年)。 1925(大正14)年12月20日マサチューセッツ州セーレムにて死去、87歳。

 腕足類というのは、「海産の腕足網の触手動物の総称。2枚の殻をもち、二枚貝が体の左右に殻があるのに対して、体の前後(背腹)に位置する。殻外へ肉質の柄を伸ばして、他の物に付着する。シャミセンガイ、ホオズキガイなど。古生代、カンフリア紀に出現し、「生きている化石」といわれる。」

 E・S・モース著石川欣一訳『日本その日その日』1(東洋文庫171・平凡社)第五章「大学の教授職と江ノ島の実験所」は、「私は日本の近海に多くの「種」がいる腕足類と称する動物の一群を研究するために、曳網や顕微鏡を持って日本へ来たのであった。私はフンディの入江、セント・ローレンス湾、ノース・カロライナのブォーフォート等へ同じ目的で行ったが、それ等のいずれに於いても、只一つの「種」しか見出されなかった。然し日本には三、四十の「種」が知られている。私は横浜の南十八マイルの江ノ島に実験所を設けた。ここは漁村で、同時に遊楽の地である。」と始まる。

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