都立桜ヶ丘公園吟行2010/12/06 07:22

 4日は「枇杷の会」の吟行で、都立桜ヶ丘公園へ出かけた。 聖蹟桜ヶ丘、 小学校の遠足で行ったことがあった。 今は旧多摩聖蹟記念館と「旧」の字が 付いているが、明治天皇がこのあたりに行幸した記念の建物は、記憶のままに 残っていた。 スペイン風の瓦が縁取る不思議な建築、説明を読んだら、私の 思ったスペイン風ではなくて、別のことが書いてあったが…。

 12時20分、京王線京王永山駅で集合、英先生を含め6名の参加、聖蹟桜ヶ 丘駅行きのバスで、桜ヶ丘公園西口から公園に入った。 よく晴れた、いわゆ る多摩の横山、多摩丘陵の雑木林の丘が、ゆったりと、しかも紅葉して、目の 前に広がっている。 すばらしい。 林の道には落葉がいっぱいに積もって、 そのやわらかい感触と、さらさらさくさくとした音を味わいながら進むと、向 こうの丘は日が当っている。 気持がいい。 こうした落葉の道を歩くのは、 ひさしぶりのような気がする。

 公園を構成する三つの大きな雑木林の丘の中で、一番高い「大松山」を登る と、てっぺんに旧多摩聖蹟記念館がある。 明治天皇は明治10年代、この丘 や遥か下に見える多摩川に、うさぎ狩や鮎漁に数回訪れたことがあり、それを 記念し、天皇の事績を顕彰するため、「最後の志士」といわれた田中光顕 (1843-1939、土佐藩出身、幕末志士として活動、明治期には警視総監、宮内 大臣などを歴任)が中心となり、昭和5(1930)年に建設された施設だ。 館 内中央には明治天皇の乗馬姿の銅像がある。 田中光顕は志士の顕彰を積極的 に進めた人物だそうで、その蒐集した書画を中心にして、「坂本龍馬・田中光顕 らの生きた時代」という展示が行われていた(パルテノン多摩歴史ミュージア ム・多摩市教育委員会共同企画展「維新風雲回顧展」三会場の一つ)。 大河ド ラマ『龍馬伝』に出て来た勝海舟、西郷隆盛、徳川慶喜、武市瑞山(半平太)、 平井収二郎、吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文その他多くの人の書画があり、若 くして死んだ人のものを含め、その筆跡の見事さに驚く。

 というわけで、パルテノン多摩という素晴らしい句会場で、出したのは、つ ぎの七句。

晴れわたる多摩の横山山粧(よそ)ふ

枯葉踏む向かうの丘に日の当る

さくさくと踏みゆくいてふもみじかな

源平の山茶花によく日の当り

知恵の矢の降つて来さうな冬木立

小春日や明治の帝顔長し

冬の日や若き元勲皆能書

桜ヶ丘吟行、僥倖の結果と主宰の選評2010/12/07 06:57

 都立桜ヶ丘公園吟行句会の結果。 互選では〈晴れわたる多摩の横山山粧ふ〉 を啓司さん、孝治さん、〈源平の山茶花によく日の当り〉を孝治さん、〈知恵の 矢の降つて来さうな冬木立〉を祐之さん、善兵衛さんが採ってくれて5票だっ たが、主宰がその3句に加え、〈枯葉踏む向かうの丘に日の当る〉〈小春日や明 治の帝顔長し〉〈冬の日や若き元勲皆能書〉も採って下さって計11票。 参加 者が少なかったこともあろうが、僥倖というべきだろう。 幹事の善兵衛さん ご苦心の吟行地も心地よいところだったが、結果にもまた、気分をよくしたの であった。

 主宰の選評。 「晴れわたる」…漢詩のように大景を堂々と見据え、山・山 と重ねた十二分のテクニックも嫌味にならず、心地よい。 「源平の山茶花」 …白赤咲き分けの山茶花。山茶花はどちらかというと、もにゃもにゃした暗い、 陰のある花だが、今はそれに明るく日が当っている、ある山茶花の気分を詠ん でいる。 「知恵の矢の」…いい句、格も高い。冬の雑木林にいると、自在に 光線が降り注ぎ、そう太くない木々の木肌もきらきらと、知的にクリヤーにな ったような気分になる。 「枯葉踏む」…叙情的、向かうの丘にも枯葉が見え る。「枯葉」が問題。俳句で「枯葉」は枝についている状態、降っているのは「木 の葉」、下に落ちて「落葉」。「落葉」とした方がよい。 「明治の帝」…昔なら 不敬罪。「小春日や」がどうか、十一月三日を思わせる、明治天皇の父のような 慈愛と読むか。 「若き元勲」…一読「若き元勲」に疑問を持つが、維新の英 傑の書が若書きなのに巧いのを詠んでいる、面白い句。

 書き出してみると過褒。 「枯葉」、「木の葉」、「落葉」の違いも知らなかっ たのが、恥しい。 シャンソンも、俳句だと「木の葉よ!」となるわけだ。

桜ヶ丘吟行、わが選句と主宰吟2010/12/08 06:47

 都立桜ヶ丘公園吟行句会で、私が選句したのは、つぎの七句。

朴落葉あればぐるりと空仰ぎ       英

枯芝に丸きわが影老いたりな       英

仄かなる落葉の香り踏みしめて      孝治

里山の紅葉の中へ分け入りぬ       孝治

落葉径突と無口になりにけり       祐之

試験地の柵に熟れたる烏瓜        祐之

紅葉濃き多摩丘陵に抱かれる       善兵衛

 主宰ご自身の句は当然除くと、みんな主宰選にも入った。 その選評。 「仄 かなる落葉」…よく出来た句。「香り踏む」という技巧が気になる人はいるかも しれないけれど。 「突と無口」…黙られて、ちょっとした違和感を感じた方 の人が詠んだ。静かになって、踏みしめる落葉の音ばかりが聞こえて来る。 「紅 葉濃き」…漠然と詠んでいて、いい。なるほど、その通り。ざっくりとした句。 「抱かれる」は「抱かるる」の方がいいかもしれない。

 私が選句したほかの、この日の英主宰の御句。

登り来し御褒美の冬紅葉かな

落葉灘に朴の幾舟浮かべたり

新雪に踏み込むごとし落葉蹴る

丘を辿り富士を望めば日短

スケートのやうに爪先落葉蹴る

戦前「禁演落語」中の知らない噺2010/12/09 07:09

 11月25日の「等々力短信」第1017号に書いた岡本和明さんの『昭和の爆 笑王 三遊亭歌笑』の中に、時局にそぐわない禁演落語を、私の生れた1941(昭 和16)年10月30日、本法寺(浅草寿町2丁目)に「はなし塚」を建てて葬 った話が出て来る。(「禁演落語」と「はなし塚」については、私も1995(平成 7)年7月5日「等々力短信」第711号に書いたことがあった。) それを読ん でいて、「禁演落語」53種の中に、知らない噺、つまり最近演じられないもの が、いくつかあることに気づいた。 私が聴くのは主に毎月の「TBS落語研究 会」だから、放送収録を前提にしている。 放送しにくい噺なのかもしれない、 と思う。

 具体的には、こんな演目だ。 《廓噺》では「粟餅」「磯の鮑(「わさび茶屋」)」 「おはらい(「大神宮の女郎買い」)」「廓大学」「三助の遊び」「三人片輪」「搗屋 無間」「とんちき」「白銅(「五銭の遊び」)」「ひねりや」「万歳の遊び」、《妾噺》 の「一つ穴」、《間男噺》の「氏子中」「つづら」「包丁」、《艶笑噺》の「にせ金」 「目薬」である。 どんな噺か、聴いてみたくなるではないか。

 わが本棚に、ずばり『定本・艶笑落語』小島貞二・能見正比古編(立風書房・ 1971年)なる参考文献があった。 そこで見つかったのは「目ぐすり」(「目薬」)、 「氏子中」の二つだけだった。 さらに探索すると、『志ん生廓ばなし』(立風 書房・1970年)の中程にある「廓ばなしご案内」という編者の小島貞二さんの 筆らしい解説が、大収穫だった。 かなりの数の“あらすじ”が出ていたのだ。  「磯のあわび」(「磯の鮑(「わさび茶屋」)」)、「ひねりや」、「三助の遊び」、「搗 屋無間(つきやむげん)」、「万歳の遊び」、「大神宮」(「おはらい(「大神宮の女 郎買い」)」)、「あわもち」(「粟餅」)、「三人片輪」、「とんちき」、「白銅(「五銭の 遊び」)」、「廓大学」。 残るは、「一つ穴」「つづら」「包丁」「にせ金」の四つ。

「大神宮」「粟餅」「廓大学」2010/12/10 07:06

 題名からちょっと気になっていて、『志ん生廓ばなし』の「廓ばなしご案内」 で“あらすじ”がわかったものを、二、三紹介してみよう。

 「大神宮」(「おはらい(「大神宮の女郎買い」)」)。 明治初年まで、浅草の雷 門のわきに磯部大神宮という神社があったのだそうで、吉原への客がみんなこ の境内を通って行った。 その連中が毎晩、モテた話、フラれた話などを交わ しながら通り過ぎるので、大神宮さまも、吉原田ン圃のカエルと同様に、吉原 というところに異常な関心を持った。 でも一人ではナンだというので、近く の東本願寺の門跡さまを誘って出かける。 すっかりモテて、さてその翌朝、 若い衆が、門跡さまのほうへ請求書(つけ)をもって、「えー、お払いを願いま す」とゆく。 「あァ、お祓いなら、大神宮さまへゆきなさい」というのがサ ゲ。 この噺、大神宮を通る男たちの、女郎屋からモノを持ち出してくるコン クールのような騒ぎが面白い、のだそうだ。

 「あわもち」(「粟餅」)。 町内の若い衆が四、五人で吉原にくりこむが、た だの遊びじゃァつまらないと、例によって趣向をかんがえる。 粟餅と灰色が かった砂糖を買い、与太郎がその粟餅と砂糖をこねて、ふとんの上に人糞のか っこうにつくっておく。 遊女はてっきり本物とびっくりするのを、連中が芝 居で喧嘩を始め、「くそくらえ」「あァ喰ってやらあ」と、みんなで喰い始める という遊び。

 「廓大学」。 出だしは「二階ぞめき」にそっくりだ。 ひとり息子の道楽に 堪忍袋の緒を切った父親がダンゼン勘当というのを、番頭が「まァ、そうおっ しゃらないで、いま一度だけお聞き済みに願いたい。実は……」、二階に上がっ てみたら、若旦那が『大学』(中国の四書の一つ)を読みながら、今までの自分 を反省し、親の恩に感謝していると、市川海老蔵みたいなことを言っている、 と告げる。

 半信半疑で、親父が二階に上がってゆくと、せがれは吉原に思いをはせて、 さかんにひとりごと。「この馬鹿野郎ッ」「あッ、おとっつァん」「なにが『大学』 の素読だい」「ここにございます、コレなんで」「大層小さな本だな」「こんど改 訂された『廓大学』で」  そこから廓情緒と『大学』の文章がドッキングする。 「なんだい、この女 郎買いは、花魁を買うに限る、新造(しんぞ)がやりくりをして、禿(かむろ) が居眠りをするというのは?」「それは、女郎買いとなりては花魁にとどまる、 新造となりてはやりくりにとどまる、禿となりては居眠りにとどまる」「積み夜 具がなかったが本床(ほんどこ)をやるとか、すると大事にするなんてぇのは?」 「夜具を新たにするにあり、自然に大切にするにあり」 親父が本を手にとる と、松山玉章(まつやまたまずさ)という花魁からの恋文が落ちた。 「何だ こりゃァ」「おとっさん、マツヤマ、タマズサとお読みになってはいけません、 ショウザン、ギョクショウとお読みを願いたいねえ、ともに儒者の名でござい ます」「そんな先生がどこにいるんだい」「行ってごろうじろ、ズラリ格子(孔 子)のうちにおります」というサゲ。 めくらの小せんという名人が、こう演 じていたそうだ。