「笑う哲学者」の三田演説会2010/12/11 07:17

 3日、第691回三田演説会を聴きに出かけた。 講師は土屋賢二お茶の水大 学名誉教授で、演題は「一面的なものの考え方が不幸を招く」だった。 土屋 賢二さん、寡聞にして存じ上げなかったが、ご専門はギリシャ哲学、分析哲学 で、「笑う哲学者」というユーモア・エッセイストとしても知られているという。  講師主要図書のリストにも、『われ笑う、ゆえにわれあり』『哲学者かく笑えり』 『人間は笑う葦である』『ツチヤの軽はずみ』『棚から哲学』『汝みずからを笑え』 『ソクラテスの口説き方』『ツチヤ学部長の弁明』『ツチヤの口車』『貧相ですが、 何か? 哲学教授大いに悩む』『妻と罰』『ツチヤの貧格』『純粋ツチヤ批判』な どがある。 1944(昭和19年)岡山県生れ、岡山操山高校から東大文学部哲 学科卒業。 「面白くて為になる」大日本雄辯會講談社のような講演だった。

 暖かい日であった。 しかし土屋さんは、ヨーロッパで死者が出ている寒波 の中、よくいらっしゃいました、と始めた。 人前で堂々としゃべることが出 来ない、堂々と歩くことも出来ない、という。 名誉教授になったが、お金は くれない、名誉をそんなに軽々しく扱っていいのかと思うが、言わないように している。 それで家にいることが多くなって、緊張がとけない。 朝鮮も、 私の家の中も。 死ぬまでに落ち着ける日が来るのかどうか、心配である。 あ る雑誌で人生相談をやっているが、家庭円満の秘訣を相談してくる人がいる。  女の側からは簡単だ、旦那がキムタクのようで、大富豪で、献身的に尽くす人 ならばよい。 男の側は難しい。 家庭が安らぎの場だと思うのは、大きな間 違いだ。 絶えず緊張し、気を緩めないようにしていて、家の外に出てホッと する。 悪いことはしていない、この一週間は(と言って)、三日前女房の財布 から五千円抜いた、二日は悪いことをしていないのに、怒るんですよ。 絶え ず怒る。 何に怒るかわからないから、発言に気をつける。 天気の話題しか しない、地雷原を歩くようなもの。 天気の話でも、見方が違うと、妻に妥協 する、北朝鮮と同じだ。 攻撃して来るから始末が悪い。 ボクの妻は、特殊。  顔が険しい、怖い。 太極拳を習いに行っている、これ以上強くなってどうす るのかと思うけれど。 太極拳の先生が、脱力ということを教えて、「土屋さん、 もう少し穏やかな顔になりませんか?」と言ったという。

 哲学は、私小説のようにわが身と家人を斬るものと知った。 『三田評論』 に速記録は載るのだろうか。 土屋さん、『ツチヤの軽はずみ』や『妻と罰』の 著書があっても、名誉教授について言わないようにしていることや、奥さんの 話をブログに書かれるのは、想定外かもしれぬ。 でも、このマクラを書かな いと、話が本題に進まない。 どーも、すみません。

“不幸”という思い込みからの脱出2010/12/12 07:59

 土屋賢二名誉教授が、奥さんの悪口を並べ立てたのには、ワケがあった。 ま ァ、これくらいの不幸で止まっている、というのだ。 人間は物の考え方で不 幸になる。 その典型的な例が、一面的な物の考え方で、よく「人生は無意味 だ」と断言する人が(哲学者にも)いる。 理由として二つ挙げる。 (1)やがて死ぬから。人類は絶滅、地球は消滅、無に帰すから全ては無益。  (2)心理的動機。今日一日何をしたか、満員電車で出勤し、机にへばりつい て仕事をし、また満員電車で帰宅し、野球を見て寝た。この同じ一日一日の積 み重ねに過ぎないから、無意味。

 この考え方は、間違っている。 (1)終わることと、意味とは関係がない。  終わるから無意味だとは決められない。 映画も、音楽も、終りがある。 ボ クの話も。 (2)生活にはそういう側面もあるが、人生は他の側面が無数に ある。 〈よくみれば薺(なづな)花さく垣ねかな 芭蕉〉という俳句がある。  俳句は七つか八つか知らないけれど…。 薺というのは、雑草みたいな、地味 な花らしい。 それが芭蕉にとっては、人生で重要なことに見えた。 描写の 仕方は、いっぱいある。 だから、つまらなそうな一面だけを取り出して、つ まらなそうに見せることは、公平でない。 偏見を持った描写の仕方というこ とになる。 上の「満員電車」の話は、自分の人生はつまらないと思っている 人が、つまらないところだけを、拾い出している。 客観的な証拠にもとづく 論証でなく、主観的な感想をもらしているだけだ。 事実を挙げて反論するこ とは不可能で、食べ物が好きか嫌いかに近い。 事実はどうかと議論するのと は違う。

 自分の欠点や、不幸なことで、人生が全て真っ暗だと考える傾向がある。 そ れが全てだと考えると、変なことになる。 どうすればよいか。 いい面もあ るよ、と声をかける、慰めの言葉や考え方は有効だ。 (1)ほかにチャンス がある。 (2)お前一人が悪いんじゃない(親・社会が悪い、人類のせい、 人間だもの、と責任分散。) (3)空は広い、というように、一面から、他の 面に目(や意識)を向けさせる。

 一つのことに心を占領されてしまわない、ちがう物の見方をすることは、落 ち込むのを防ぐ。 それにはユーモアが大切だ。 第二次世界大戦中、ナチス・ ドイツに英仏海峡を封鎖された時、イギリスの新聞が「ヨーロッパ大陸は孤立 した」という見出しを立てた。 自分が一面的になろうとするのから、脱却す ると、人は笑う。 苦しい時、重大な時、ちょっとした側面の変化が、過度の 重大視から逃れさせる。

寄席に出られない噺家2010/12/13 07:10

 岡本和明さんの『昭和の爆笑王 三遊亭歌笑』(新潮社)で、もう少し書いて おきたいことがあった。 一つは、寄席に出られない噺家のことだ。 今も、 円楽一門会や、落語立川流の問題がある。 歌笑の高水治男が最初、金語楼に 入門しようとして、今は役者の活動が中心だからと断わられたのは、金語楼が ラジオへの出演を巡るトラブルで寄席から締め出されていたからだった。  1925(大正14)年3月1日に、日本のラジオ放送が始まった。 ラジオで落 語をやると、客が寄席に来ないというので、これは死活問題だと、寄席で組織 していた「東京演芸場組合」が「ラジオ出演した芸人は二箇月の出演停止にす る」という規約を作った。 ほとんどの噺家は従ったが、金語楼はかまわずラ ジオに出演して「兵隊落語」を演ったため、ついには寄席に出られなくなって いたのだった。

 金語楼に紹介されて入門することが出来た金馬も、実は普通の寄席には出ら れず、「東宝名人会」だけに出ていた。 「東宝名人会」は東宝の創業者小林一 三の発案で、秦豊吉により1934(昭和9)年9月21日に、東京宝塚劇場5階 の東宝小劇場で始まった。 金馬は発足と同時に出演契約をしたが、「東宝名人 会」が寄席の経営を圧迫するというので、「東京落語協会」が「東宝名人会」に 出た者は寄席には出さないという規約を作ってしまったのだった。 金馬は契 約どおり出演し、「東京落語協会」から除名される。 1936(昭和11)年には、 「東宝名人会」と「東京落語協会」の間で和解が成立するが、金馬は協会へ戻 らず、生涯フリーで通した。

 それで歌笑は「東宝名人会」しか知らなかったが、昭和16年3月の二ツ目 昇進を前に、金馬が歌笑を兄弟弟子である円歌の預かり弟子にしてもらって、 「落語協会」の所属となり、他の寄席にも出られるようになった。  林家三平も、同じような道を辿った。 父の七代目林家正蔵が「東宝名人会」 の専属だったため、二ツ目になった頃、正蔵の死に伴い月の家圓鏡(後・七代 目橘家圓蔵)門に移って、「落語協会」の前座を務めている。 三平は「東宝名 人会」時代から三年間、歌笑に接し、大きな影響を受けた。 歌笑の死後、「爆 笑王」と呼ばれることになる三平の芸の原型のほとんどは、歌笑が作ったもの だった、と岡本和明さんは書いている。 スーツ姿で立ったまま演じたり、歌 を歌い、その時々の世相や出来事を織り込んだ、七五調のリズム感のある小咄 を演るスタイルなどを受け継いだのだった。

寄席ってのは…2010/12/14 06:29

 余談だが、ちょっと思いついた。 タモリ、明石家さんま、ビートたけし、 爆笑問題、和田アキ子、西川史子、マツコ・デラックス、渡部陽一のような人々 を、一括して何と呼ぶか。 「ホーソー族」。

 『昭和の爆笑王 三遊亭歌笑』で、なるほどと思ったのを、書いておく。

のちに歌笑になる治男が、金語楼の弟子で玄関番の田辺に聞かされた話。 「寄席ってのは色んなことを言ったりやったりする奴がいるから面白えのに、 今、咄家でそんな度胸のある奴なんかいねえよ。咄家がお上の顔色を窺って、 ビクビクしながら高座を務めるようになっちゃあお仕舞いよ。」

師匠の金馬が、この世界には、まったく関係のないことまで言い出して文句 をつける奴がゾロゾロいるが、そいつ等を黙らせる方法が一つあると、

「人気だよ。人気者になっちまえば誰れも文句を言わなくなる。まあ、それ でも陰で色々言う奴がいるが、そんなのは負け犬の遠吠えみてえなもんだ」

金平という名だった治男が、楽屋で「バケ(化け物)」「ゲテ」「按摩」としか 呼んでもらえないのを、「兄さん」と呼んでいた小きん(後の小さん)に、こぼ すと、

「そのうちにお前に力がついて、人気が出てくりゃあ、誰もそんなことは言 わなくなる。この世界は力の有る者が勝ちの世界だ。それはどの世界も同じだ が……それ迄辛抱しなくちゃ……」

豚の夫婦がのんびりと 畑で昼寝をしてたとさ 夫の豚が目をさまし 女房 の豚に言ったとさ 今見た夢はこわい夢 俺とお前が殺されて こんがりカツ にあげられて みんなに食われた夢を見た 女房の豚が驚いて あたりの様子 を見るなれば 今まで寝ていたその場所は キャベツ畑であったとさ (『歌笑純情詩集』より)

黒鉄ヒロシさんの連想と読書2010/12/15 07:13

煙草を吸う人はだんだん肩身が狭くなっているようだ。 先日の土屋賢二さ んの三田演説会でも、イギリスの夕刊紙にある“婚活”広告で、女性の希望条件 で多いのは、煙草を吸わない人、ユーモアのある人だと、聴いた。

 『銀座百点』の12月号に、黒鉄ヒロシさんが書いたエッセイ「本と本の間」 が興味深い。  ヒトラーのナチス・ドイツは、“反煙草運動”を推進し、禁煙キャンペーンの 先駆となったという側面を持っていたという。 まずドイツ女性に可能なだけ 出産させることを目指して、自分たちが唱えた“多産政策”の妨げになるとい う理由で、妊婦に与える煙草の害についての研究を進めていた。 そのうちに 「煙草を持ち込んだユダヤ人にこそ責任がある」という見当違いの主張を始め、 禁煙運動は反ユダヤ主義へとヒステリックにつながって、多くの悲劇を生んだ。  黒鉄ヒロシさんは、これを支えたナチ党の綱領を知りたくなった。 しかし、 ナチ党には綱領がなく、そのことについて追及されたヒトラーは「ワーグナー が綱領だ」と、奇妙な答弁をしたそうだ。

ここで、黒鉄ヒロシさんの連想は、政権をとって以来、さっぱり背景の見え ない対応を見せる我が国の民主党の綱領に及ぶ。 調べてみて、意思統一が計 れず、あちこちで意見が揺れるわけがわかった。 綱領がなかった。

さらに話は展開する(マスコミに、こんな自主規制があるのは、見る側も注 意しなければならないと思う)。 テレビのニュース番組(サンデー・スクラン ブル)で、このことを指摘すると言うと、ディレクターがナチスは止めてくれと 言ったそうだ。 黒鉄さんは、止めなかった。 事実を伝えてなにが悪い、と。  事後、どこからも、反論も苦情もなかったという。

 煙草―禁煙キャンペーン―ヒトラー―ナチ党―綱領―民主党とつながったの は、脳内イマジネーションの旅の結果で、奇妙な偶然だが、その帰結するとこ ろはかすかに必然の匂いがすると、黒鉄さんは言う。 偶然を必然の側に少し でも近づける方法の、ほとんどは書物の中にあるというのだ。

 黒鉄ヒロシさん、以前「日曜美術館」で幕末の大和絵師、冷泉為恭(ためち か)の話を聞いて、感心したことがあったが、たいへんな読書家のようである。