格式の伝統美と、颯爽としたかっこよさ2017/10/28 07:08

 観世能楽堂が4月銀座に開場した時の記念公演のパンフレットも頂いたので、 目を通す。 正式の名前は「二十五世観世左近記念 観世能楽堂」、現宗家の観 世清和は二十六世、観世左近が昭和47年4月に渋谷区松濤に建設した能楽堂 の舞台を、二年間の移設期間を経て、そのまま銀座GINZA SIX地下三階に移 築したものだ。 銀座と観世家の縁は深い。 寛永10(1633)年、流祖観阿 弥、世阿弥以来の伝統を受け継ぐ、十世観世重成が現在銀座2丁目となってい る「弓町」に、三代将軍徳川家光から524坪の屋敷(敷地)を拝領し、観世大 夫家は幕府の瓦解で亀戸仮寓を経て静岡に移住するまで、240年住み続けた。  平成になってガス灯通りとなった観世通りが、観世新道と呼ばれていた。 当 時能は、幕府式楽に位置付けられていたので、いつでも速やかに登城し、お役 目を果たせるようにと、お城の近くに屋敷や稽古舞台、蔵を構えて、日々研鑽 に勤めていたという。

 開場を記念して、観世清和宗家、金閣寺・銀閣寺住職の有馬賴底臨済宗相国 寺派管長、岡田裕介東映会長、演出家宮本亜門の四氏が座談会をしている。 宮 本亜門さんは昨年10月シンガポールで、能楽と3D映像作品を融合させた『幽 玄』という舞台公演の構成・台本・演出を担当した。 大好評で、熱狂的な反 応だったという。 初めて間近に感じたのだが、「シテ方の楽屋での立ち居振る 舞い、そして本番の舞台へ入っていくときの集中力、身体一つで何か違うもの に憑依していくときのエネルギーというのはすごいですね。人間の魂の表現と してこんなに深く力強いものはありません。」と、言っている。 岡田裕介さん は、オリンピックに向かって、銀座はますます注目され、外国人観光客も多く なるだろうが、今の演能時間は彼らには少し長いかもしれない、初学者向け、 外国人向けでいいが、気軽に能楽堂を訪ね、能を観る機会をつくることも必要 ではないか。 観世清和宗家も、それを受けて、もっと多くの皆さんに能に親 しんで戴きたい、能楽堂の垣根を低くできないかと思ってきた、番組の組み方 も、能一番に狂言一番というコンパクトなもの、一曲の上演時間も少し長すぎ る、昔はもっとテンポが速かった、と。 岡田裕介さんは、猿楽的なエンター テインメントな要素を含んだものと、伝統に則った格調の高いものと、二つの 要素が必要なのだろう、格式と観ていて面白い親しみやすさの両方を備えるこ とが…。

 有馬賴底さんは、こんな話をする。 足利義満がなぜ能に惹きつけられてい ったか、禅に傾倒した義満が相国寺の僧の観音懺法(かんのんせんぽう)とい う宗教儀礼の場に立ち会って「観音懺法、はなはだ欣快なり」と語ったと伝え られている。 観音懺法は、かいつまんで言うと、私たちが罪を悔いあらため、 懺悔の力によって仏の心を取り戻そうとする儀式だ。 その短くきびきびとし た所作が今風にいえば、「かっこいい」と感じられた。 義満が能にのめり込ん でいく理由の一つに観音懺法との出会いがあった、こういう「かっこよさ」へ の傾倒があった。 (私は高浜虚子の「風流懺法(ふうりゅうせんぽう)」の「懺 法」の意味を、これで初めて知った。「懺」の字は「懺悔(ざんげ)」と打つと出る のだ。)

 観世清和宗家は、最後に「一方では、格式としての伝統美があり、他方には、 颯爽としたかっこよさがあった。どちらも能なのだと思います。観阿弥、世阿 弥以来の父祖の教えを守り、時々の初心を忘れず強い稽古を積んで、皆さまに よい舞台を観て戴く、そして楽しんで戴く――それが私どもの使命であると思 っております」と誓っている。

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