福沢諭吉の「実学」〔昔、書いた福沢96〕2019/08/14 08:27

               福沢諭吉の「実学」

      <等々力短信 第916号 2002(平成14)年6月25日>

 「実学」は福沢のキーワードの一つだが、意外なことに、西川俊作さんによ ると『学問のすゝめ』全編をパソコンで検索しても、わずか3個しかヒットし ないそうだ。(慶應義塾大学出版会刊『福澤諭吉著作集 第3巻 学問のすゝめ』 解説) 内2個は『学問のすゝめ』初編の「学問とは…」以下、和漢学の古文 や和歌・詩の学問ではなく、日用に役立つ、読み、書き(手紙文)、ソロバン(簿 記)、地理学、物理学、歴史学、経済学、修身学などをすすめた箇所に出て来る。  福沢は、どの学問も、事実そのものを客観的に把握し、対象に即して、そのも の自体の働きを見極め、身近なところに法則を発見して、それを現実の生活に 活用しなければならないと、いっている。

 今月1日と15日の2回、東京大学教授の平石直昭さんを講師に、丸山眞男 著『福沢諭吉の哲学他六篇』(岩波文庫)の第二論文「福沢に於ける「実学」の 転回」を読む、福沢諭吉協会の読書会に参加させてもらった。 丸山眞男さん の論文は難しい。 でも 文庫本で20ページほどの短いものだから、声に出し て何とか読み進め、一夜漬けの予習をして出かけた。 丸山さんは、福沢の「実 学」の革命的なところは、学問と生活との結合、学問の実用性の主張自体にあ るのではなく、むしろ学問と生活がいかなる仕方で結びつけられるかという点 に問題の核心があるという。 『福翁自伝』の「王政維新」の章、慶應義塾の 教育方針を述べた所に「東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較してみるに、 東洋になきものは、有形において数理学と、無形において独立心と、この二点 である」とある。 丸山さんは、福沢がヨーロッパ的学問の核心を「数理学」(「物 理学」厳密には近世の数学的物理学、ニュートンの力学体系)に見出し、中核 的学問領域を旧体制の学問の「倫理学」(「道学」修身斉家の学)から、この「数 理学」へ「転回」させたというのである。 「数理学」については、『自伝』の 富田正文先生の注に「数と理とを基礎とする学問という意味で、Physical Science の訳語と思われ、同じような意味で、他の場合には実学または物理学 ということばでこれを表現したこともある」とあり、甲南大の国語学からの福 沢研究者伊藤正雄さんは簡潔に「実証科学」と書いている。

 私は恩師故小尾恵一郎先生が最終講義で、福沢が『文明論之概略』で自然法 則と社会法則を区別せず、ジェームズ・ワットとアダム・スミスの業績を並べ て書いていることに触れておられたのは、これだったのかと、遅蒔ながら気が ついた。

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