「多事争論」〔昔、書いた福沢151〕2019/11/08 07:17

         「多事争論」<小人閑居日記 2002.8.10.>

 テレビというメディアによる世論形成のことを気にかけているので、筑紫哲 也さんの『ニュースキャスター』(集英社新書)を読んでみた。 「テレビは「小 泉首相」を作ったか」という章もある。 森内閣の不人気も、小泉内閣の異常 人気も、世の中は全てテレビの影響下に動いているとする見方に対し、筑紫さ んは、もっと実態に即した論議が要るテーマだといい、小泉・田中真紀子人気 は二人が「世間」に近い「文化」(たとえば政治以外に楽しむことをいっぱい持 っている)と「ことば」(政界用語ではない)によるものだという。

 筑紫さんは自身を、絶対の真理、絶対の正義など、この世に滅多にないと思 っている「多元論者」だという。 出自が政治部記者だから、取材相手との信 頼関係を築いた上で収穫を得るスタイルだし、雑誌編集者が長かったから、自 分を「無」にし「器」を提供して多彩な人物に登場してもらう習性がある。 鋭 くインタビューする久米宏さんを「北風型」、自分を「太陽型」という。

 筑紫さんが80秒を一人でしゃべるテレビコラム「多事争論」というコーナ ーがある。 「多事争論」は『文明論之概略』にある福沢諭吉の造語で、筑紫 さんは「なるだけ多くのことをなるだけ論じあったほうがいい」という意味だ が、それができないできたのが今にいたる日本近代だと思っている。 「自由 の気風」が高い価値を持たない社会で、付和雷同の「単一の説」がどれだけ国 を誤らせ、人々に厄災をもたらしてきたことか…、という。        

 冒頭に書いた私の心配を、当事者である筑紫さんもしているのであった。  「多事争論」を、じっくり視聴するとしよう。

     日田の「自由の森大学」のことなど<小人閑居日記 2002.8.11.>

 筑紫哲也さんの『ニュースキャスター』に、中津出身の福沢諭吉の「多事争 論」が出てくるのと関係があるかどうかわからないが、筑紫さんは大分県日田 市の出身だという。 そして日田市で「自由の森大学」という市民大学の学長 をやっている。 幕末の日田で、漢学者の広瀬淡窓(たんそう)が咸宜園(か んぎえん)というユニークな私塾を興した。 「咸宜」は「みなよろし」とい う意味で、身分、藩の別などきびしかった時代に、学歴も問わず入学できる代 りに、入ってからは実力主義、自律自治の勉学を課した。 「自由の森大学」 は、「平成の咸宜園」を目ざしているという。

 敗戦の年、筑紫さんは10歳の軍国少年だった。 大人たちは昨日まで言っ ていたことと全く反対のことを言って恥じない変わり身の早い人たちだった。  だから自分たちの世代は、年長者への敬意をひどく欠いた世代だという。 疑 うことの大切さ、知の大切さを思い知り、大人たちに向かって、総体としての 世代責任、結果責任を「恨」のまなざしをこめて問うてきたかつての少年は、 今それを問われる立場にいる、と筑紫さんはいう。

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