小三治が床屋でつぶやいた芸談2021/03/15 07:12

松沢弘陽著『福澤諭吉の思想的格闘』の難しい話が続いたので、ちょっとお休みし、福沢流の「平均」、バランス感覚で、柳家小三治の落語とマクラの話をすることにした。

 12日に出した、等々力短信1141号「コロナ下、小三治前進」に書いたNHKのBS1「ザ・ヒューマン」「止まらない男 柳家小三治」だが、「高田馬場の師匠」小三治が大久保の理髪店ホリウチでつぶやく場面が、とてもいい。

 おかみさんに頭をやってもらいながら、20代から通う、心安らぐ場所だと言う。 内緒ですけど、一つ違いでね。 言っちゃあ、駄目。(と、おかみさん) 24、5ぐらいから、やってもらってる。 このおかみさんもね、どんな暮らしをしてきたか知らないけれど、生きてる上で、楽しいこと、辛いこと、沢山あったんでしょう。 だから、そういうことが、このハサミ捌(さば)きっていうか、作品に反映して、出来上がるんじゃない。 一つの芸術ですよね。

 人をいかに、そのまま素直に、仕事に表せるっていうのが、芸かな。 なかなか、そう、いかねえんだ。 なんとか、うまく見せてやろうとか、そういうことを考えちゃうんだよ。 そうすると、後で、反省することが出て来る。 じゃないかなって……、俺は思うんだけどね。 自分がそうだから。

 (頭を洗ってもらって、仕上げ)きれいになりました。 汚かったからねえ。

 「止まらない男 柳家小三治」に出てきて、ほんのちょっと演じる場面があった落語の演目、「野ざらし」「長短」「錦の袈裟」「粗忽長屋」。 私の<小人閑居日記>に、小三治の「野ざらし」と「粗忽長屋」はあった。 ただ「野ざらし」は、ブログでは読めないので、明日、出すことにする。 「長短」と「錦の袈裟」は小三治のものがなく、おなじ柳家の花緑と権太楼のがあったので、挙げておく。

柳家小三治の「野ざらし」<小人閑居日記 2005.4.4.>

小三治の「粗忽長屋」<小人閑居日記 2010.5.10.>

花緑の「長短」<小人閑居日記 2008.1.31.>

権太楼「錦の袈裟」のマクラ<小人閑居日記 2014.11.30.>

権太楼「錦の袈裟」本篇<小人閑居日記 2014.12.1.>

柳家小三治の「野ざらし」2021/03/16 06:54

これは2005年3月31日に、第441回TBS落語研究会のトリで聴いたものだ。

     馬の皮、小三治「野ざらし」<小人閑居日記 2005.4.4.>

 お目当ての小三治「野ざらし」。 まくらは趣味の話。 昔は道楽と言った。 道楽というと「めんぼくない」、それが趣味人というと来年あたり文化勲章をもらいそう。 焼け跡の野球少年だから、ふだんサッカーは見ないのだけれど、外国とやると熱が入る。 最近はボールの色がいろいろだし、ボールのガラ、何種類あるんですかね。 材質は皮なんでしょう。 高校の時、体育で使ったのは、イボイボのゴムだった。 野球に「飛ぶボール」と「飛ばないボール」があるのは、知りませんでした。 あれは値段ですかね。 飛ぶほうが高い。 広島は、飛ばないボール。 巨人、ダイエーは飛ぶボール、とか。 野球のボール、昔は馬の皮だといっていたけど、今も馬の皮なのかな、急に思いついたんで、わかりません。 調べてくればよかったんですが…。 寄席の太鼓は馬の皮、三味線は猫の皮、ほかのものじゃあダメ。 道楽は、道具に結びついている。 釣も道具に凝る。 別に食い物に困って行くわけじゃあない。 あたしはあまり釣はやらない。 ハチミツと塩でとまっている。

 釣の話から、「野ざらし」に入った。 隣の浪人者のところに十六、八の美人が来た訳を聞いた八公、「月浮かむ水も手向の隅田川」というマヌケじゃなくて手向の句も教わり、向島に釣に行く。 釣人たちを迷惑がらせる一騒ぎがあって、美人の骨(こつ)を求め芦の茂みを探す。 見つけた累々とした骸骨に万遍なく酒をかけ、「今夜来ておくれ、浅草門跡様のうしろの長屋、腰障子に○八と書いてあるから」と言ったのを、そばの屋形船にいた幇間(たいこもち)に聞かれる。 その夜、美人じゃなくて、男が来たので、「お前は何だ」「私はタイコです」、「しまった、馬の骨だったのか」。

次第に調子に乗ってきて、歌を歌うところなど、じつに楽しそうに演り、とてもよい出来だった

37年前、小三治・志ん朝『千両みかん』競演2021/03/17 07:05

 小三治の落語について書いたものの一覧表を出そうとしたら、一番古いのが1984(昭和59)年、およそ37年前のこの「等々力短信」だとわかったので、まず、これを引いておく。

      「等々力短信」第332号 1984(昭和59)年9月5日                 野菜・果物、昔の味

落語に『千両みかん』という話がある。 ある夏のこと、大店の若旦那が、原因不明の病いで寝ついてしまう。 番頭さんが、若旦那をなだめすかせて、ようやく理由を聞き出すと、「みかんが食べたい」という。 江戸中さがし歩いたけれど、夏の真っ盛りに、みかんはない。 最後に、神田の問屋の蔵に、囲ってあったみかんの山から、たった一つだけ見つけ出した。 みかんの値段が千両。 それでも、命にはかえられないと、そこは大店、若旦那はみかんを食べ、残した三袋を父母にと番頭に託す。 十三の年から奉公して、来年のれん分けの時にもらえるお金が多くても五十両、このみかんが三袋で三百両、迷った番頭、そのみかんを持って逐電、というご案内の話である。

七月は、国立の落語研究会で小三治が、月末東横の円朝祭で志ん朝が演じて、『千両みかん』の競演となった。 聴いた場所やこちらのコンディションの違いもあって、比較は正確ではないが、私は小三治に軍配をあげた。 夏でも、みかんのある今では、この話、説得力の勝負になる。 小三治はマクラで、最近の食べ物に季節感のないことを嘆いて、トマトの昔の味や、曲がってはいてもパキッとかじるキュウリの歯ごたえについて語った。

お話かわって、小沢昭一さん。 新潮文庫の新刊『旅ゆけば、小沢昭一的こころ』(宮腰太郎さんとの共著)に、「なぜか埼玉、今なぜ買い出し旅」の一章があり、昔の味のキャベツはどうしちまったのか、大問題でありますよ、と飯能農業改良普及所の所長さんに尋ねるところがある。 第一は、品種が良くも悪くも改良されたためで、問題のキャベツにしても年中生産されている。 つまり昔と品種が違う。 それに病気に強いのを作ってきたので、葉っぱはコワイし、味も落ちた。 第二は、化学肥料と連作で地力が低下した。 堆肥をやればいいのだが、あれは手がかかる。 「しかし、有機肥料で土地ィ肥やしとる農家の作物は旨いですよ、ハッ」というのが、その答である。 この本、面白い上に、こうした雑学的発見が随所にちりばめられているのでありまして、日本全国の平均的ダメお父さん必読の、「面白くて、ためになる」きょう日珍しい本なのでありますよ。

ところで、円朝祭で志ん朝の『千両みかん』のすぐ後の中入りに、あたりにプンプン香りをふりまいて、それぞれ二千両ものハウスみかんを食べている親子づれを、見た方があったかもしれない。 あの趣向は、かくいう私の、いたずらである。

柳家小三治の落語、まくら、拙稿一覧2021/03/18 07:10

 今まで、柳家小三治について「等々力短信」と「小人閑居日記」に書いたリストを挙げておく。(ただし、2004年以前の分は、ブログでは読めない。)

  《等々力短信》
第332号 1984.9.5. 野菜・果物、昔の味/小三治、志ん朝「千両みかん」競演、『旅ゆけば 小沢昭一的こころ』
第609号 1992.8.5. 「子別れ」上・中・下/小三治の子別れに泣く土用丑
第814号 1998.7.25. 郡山剛蔵随談/小三治の『ま・く・ら』①
第815号 1998.8.5. 海舟お宝余波/②お宝、勝海舟の手紙と掛け軸
第816号 1998.8.15. 小三治の「青い鳥」/③幸せのかけら「マイ・プレジャー」
第872号 2000.3.25. 噺家のオカミサン/小三治夫人・郡山和世『噺家のオカミサン繁盛記』
第904号 2001.6.25. 『もひとつ ま・く・ら』/小三治の断定・意外性の面白さ・言葉の選択

  《小人閑居日記》
小三治「長屋の花見」の季節<小人閑居日記 2003.3.27.>
小三治の「まくら」最新版<小人閑居日記 2004.6.20.>
「国立印刷局」の秘密<小人閑居日記 2004.6.21.>
小三治の「出来心」<小人閑居日記 2006.4.6.>
小三治「一眼国」のマクラ<小人閑居日記 2007. 4.3.>
「一眼国」の全篇<小人閑居日記 2007. 4.4.>
小三治の「茶の湯」<小人閑居日記 2007. 6.12.>
マクラ「いのちの電話」<小人閑居日記 2007. 6.13.>
小三治のマクラ・広州俳句会<小人閑居日記 2008. 4.6.>
小三治の「うどんや」<小人閑居日記 2008. 4.7.>
小三治の「小言念仏」<小人閑居日記 2008. 6.4.>
期待のドキュメンタリー映画『小三治』<小人閑居日記 2009. 1.27.>
小三治の「病気」<小人閑居日記 2009. 2.26.>
小三治と扇橋<小人閑居日記 2009. 2.27.>
鈴本でベーゼンドルファー<小人閑居日記 2009. 2.28.>
小三治、校歌やフランク永井を歌う<小人閑居日記 2009. 4.14.>
小三治の「宗論」<小人閑居日記 2009. 4.15.>
小三治の「ま・く・ら」ま「大入袋」<小人閑居日記 2010. 5.7.>
小三治の「ま・く・ら」く「わからない話」<小人閑居日記 2010. 5.8.>
小三治の「ま・く・ら」ら「病気について」<小人閑居日記 2010. 5.9.>
小三治の「粗忽長屋」<小人閑居日記 2010. 5.10.>
小三治「かんしゃく」のマクラ<小人閑居日記 2010. 11.7.>
小三治の「かんしゃく」<小人閑居日記 2010. 11.8.>
小三治のマクラ・迷惑メール<小人閑居日記 2011. 4.9.>
小三治の「猫の災難」<小人閑居日記 2011. 4.10.>
小三治「茶の湯」のマクラ<小人閑居日記 2012. 4. 4.>
小三治「茶の湯」の本体(上)<小人閑居日記 2012. 4. 5.>
小三治「茶の湯」の本体(下)<小人閑居日記 2012. 4. 6.>
市馬、正蔵、小三治と続く<小人閑居日記 2012. 10. 2.>
小三治「お茶汲み」のマクラ「冷やかし」<小人閑居日記 2013. 1. 8.>
小三治の「お茶汲み」本篇<小人閑居日記 2013. 1. 9.>
小三治の「やかんなめ」前半<小人閑居日記 2014.1.9.>
小三治の「やかんなめ」後半<小人閑居日記 2014.1.10.>
小三治「初天神」のマクラ<小人閑居日記 2015.1.2.>
小三治「初天神」の本篇<小人閑居日記 2015.1.3.>
小三治の「青菜」前半<小人閑居日記 2015.7.25.>
小三治の「青菜」後半<小人閑居日記 2015.7.26.>
小三治「時そば」のまくら<小人閑居日記 2016.4.12.>
小三治「時そば」の本篇<小人閑居日記 2016.4.13.>
小三治「お化け長屋」のマクラ「落語家」と怪談噺<小人閑居日記 2016.11.9.>
小三治「お化け長屋」の本篇<小人閑居日記 2016.11.10.>
柳家小三治「千早ふる」前半<小人閑居日記 2018.4.6.>
柳家小三治「千早ふる」後半<小人閑居日記 2018.4.7.>
柳家小三治「転宅」のマクラ<小人閑居日記 2018.11.7.>
柳家小三治「転宅」本篇・前半<小人閑居日記 2018.11.8.>
柳家小三治「転宅」本篇・後半<小人閑居日記 2018.11.9.>
                              以上

アルマーニ銀座タワーの陽光桜2021/03/19 04:35

 17日、彼岸入りの墓参りをして、銀座に出て、蕗の薹や鱚や穴子の天ぷらで春を満喫した後、デザートは銀座千疋屋パーラーで苺クリーム(千葉県産紅つやか)と洒落て、四丁目の交差点の方へ歩いていた。 いつも交詢社に行く時に曲る、ジョルジオ・アルマーニ銀座タワーのエントランスに、家内が足を止めた。 案内のお兄さんに、写真を撮ってもよいかと聞くと、まるで我が子のことでも話すように「どうぞ、撮ってやって下さい」と言う。 埼玉県の陽光桜という品種だそうだ。 ホームページには、毎年飾って春の風物詩と好評、24日まで展示予定とあった。

 陽光桜、知らなかったが、愛媛県の高岡正明という人が、アマギヨシノとカンヒザクラを交雑させてつくった栽培品種だそうだ。 高岡正明さんは、第二次大戦中、青年学校農業科の先生で、「お国のために戦って来い、そしてまたこの桜の木の下で会おう」と教え子たちを送り出したが、その多くが帰って来なかった。 そして戦死した教え子たちの冥福と平和とを祈って、各地に桜を贈ることを思い立ち、環境適応能力の強いサクラをつくろうと、25年間の試行錯誤の後に、寒さに強い日本のソメイヨシノ(染井吉野)に由来を持つアマギヨシノ(天城吉野)と、台湾もしくは日本の暑さに強いカンヒザクラ(寒緋桜)を交雑させてヨウコウ(陽光)を誕生させた。 樹形は広卵状で、ソメイヨシノより早く咲き、花は一重で大輪、鮮やかなピンク色が特徴。

 2015年には、高岡正明さんがヨウコウを誕生させた物語を描いた、高橋玄監督・脚本、笹野高史(『釣りバカ日誌』の運転手)主演の映画『陽光桜―YOKO THE CHERRY BLOSSOM』が公開された。 シンガーソングライターの茜沢ユメルはこの誕生秘話を後世に伝えるため、2013年に「Stay~さくらの花のように」「夢桜~あなたの希望になる~」を、2018年に「風になって花と踊ろう」「さくら」「陽光桜~あの時の教え子たちへ」をリリースし、2017年には茜沢が初監督を務めたインディーズ作品『陽光の木の下で』が、豊洲の新人監督映画祭で上映されたという。 どちらも、まったく知らなかった。