『三田評論』11月号に高校時代の思い出2008/11/21 07:13

 <小人閑居日記>と<等々力短信>をブログにも出すようにしたのは、2005 年の5月14日からで、毎日書いているから、もうかなりの量がたまっている。  とくに「福沢」(「慶應」)、「落語」のカテゴリーは記事が多いから、検索などで 引っかかることもあるのだろう、思わぬコメントや連絡が飛び込んで来る。

 今回も「「福澤展」事務局です」というコメントがついたわけだが、9月の初 め、『三田評論』の編集部から電話がかかってきた。 ブログを見ているといい、 11月号で創立150年の特集をやるので、高校生の時に体験した百年祭の思い出 を書いてもらえないだろうか、という依頼だった。 「丘の上」の欄、1,600 字だという。 せっかくの話なので、軽く受けた。 あらためて『三田評論』 を見ると、「丘の上」というのは巻頭随筆ではないか。 まことに光栄なことで、 150年に一度というような椿事なのであった。

 さっそく同窓会「志木会」の事務局にお願いして、志木高創立50年の折に、 学校に寄贈してあった『慶應義塾志木高新聞』の「百年祭記念号」を探しても らった。 ご親切にコピーを送ってくださったので、百年祭の時に昭和天皇の 写真を一面に載せた記念号をつくった高校2年生の日々を綴ったのが、『三田 評論』11月号「特集 学塾の歩みを記録する」に載った文章である。 私にと っては、高校時代の輝かしい思い出であった。

 創立150年の記念式典後の未来先導宣言に登場した、かなり突っ張った長髪 の高校生を見ながら、高校時代の自分もまた、生意気で、相当突っ張らかって いたのだろうと、思った。 長髪でこそなかったが、黒髪を風に薫じさせては いたのだから…。

コメント

_ やまもも ― 2008/11/21 09:52

おめでとうございます。
三田評論といい、福澤展事務局といい、見る目がありますね。というよりも、社会で華々しく活躍している塾員(政治家・財界・芸術)などではなく、普通の(と言っては失礼かもしれませんが)の、市井の塾員のブログまで、目を配っているあたりは、やはり感心します。

ちかごろ、他の大学などでは、無理矢理に、学生の愛校心を持たせようというような動きがあります。そうではなく、世代を超えて自然とつちかわれてきた連帯感・帰属意識、こそが重要です。慶應150の意味は、ここにこそあると思っております。

當山日出夫(とうやまひでお)

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