福沢諭吉の「落語と講談」 ― 2011/01/09 06:53
『福澤諭吉事典』の第I章『生涯』7日常と家庭に、「落語と講談」という項 目がある(西澤直子さんの執筆)。 落語は、福沢が落語好きで、慶應義塾内の 万来舎や福沢邸などに落語家を招いて、落語会を催し、明治20(1887)年2 月11日には名人・三遊亭円朝も万来舎で演じている、とある。 そして落語 の新作も試みたと、以前「等々力短信」第901号・2001(平成13)年3月25 日「福沢さんの落語」で紹介した「鋳掛(いかけ)久平(きうへい)地獄極楽 廻り」(散憂亭変調 口演)に言及し、地獄にも文明開化が到来する話で、演説 館で三遊亭円遊が演じたという、とある。
講談については、こうある。 「福沢は人情話に涙もろいところがあり、講 談も好んだ。(明治)15年6月には京都で講談師尾崎晴海が、東京では日本橋 瀬戸物町伊勢本と下谷広小路本牧亭で同じく松林伯円が、「帝室論」を演じた。 伯円の講談の『時事新報』の広告には、『帝室論』を「俗解」した「通俗新講談」 とうたっている。 福沢が北里柴三郎を支援して設立した結核の専門病院養生園の娯楽会で、講談師真竜斎貞水を気に入り、さっそく養生園の田端重晟(しげあき)に紹介を頼んで、以後福沢邸でも貞水一派の会を開いている。」
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