『化粧』のどんでん返し2011/01/28 07:09

 『化粧』は最初、一幕物だったが、後で第二幕が追加されたという。 ずっ と五月洋子を演じていた渡辺美佐子がアドリブで「どうしてこの芝居にはだれ も出てこないんだ?」と言ったのを聞いて、井上ひさしさんが書き加えた。 第 一幕で「いないけどいる」と信じた観客の想像力を逆手にとって、観客が「い ると信じてくれた人は、実際にはいなかった」という、どんでん返しをした。 (この話は、集英社刊『化粧』所収の「美佐子芸談」にあるそうだ)

 田上晴彦は『伊三郎別れ旅』を観ていた。 楽屋に来て、さっき舞台で使っ たお守を見せてくれ、という。 二十年前の師走の初め、生後三か月の晴彦を 文京区の聖母の園乳児院へ置き去りにした生みの親が、写真に添えて残してい った鬼子母神のお守とそっくりだ、と。  もういい? 捨てた親への恨みはすっかり晴れました? ぼくも辛かったけ れどかあさんの方はぼくの百倍、いや千倍も辛かったと思う? ……うれし い! 女座長は「吾が子」をひしと掻き抱き、思わず、昔、うたった子守唄。  ……ねんねんねこの尻(けつ)に蟹が這い込んだァ、ほじくり出してポイと捨 ててもまたぞろ這い込んだァ、も一度ほじくり出して鍋で煮てたべたァ。

 えっ、お守がちがう? ぼくのは雑司ヶ谷の鬼子母神だ? 入谷と雑司ヶ谷。  ほんのわずかなちがいじゃないか、鬼子母神さえ合っていれば、かあさん、そ れで充分ですよ。  このとき、上手の「舞台」から、小屋解体の物音。そして工事人夫たちの声。  「おばさんよォ、はやいとこ、楽屋を明け渡しとくれよ」「楽屋を畳んじまえば、 それで解体工事はおしまいなんだからさ」 すべては、狂女が元芝居劇場の楽 屋で孤独に演じつづけていた一人芝居だったのだ。

 五月洋子は、市川中丸に声をかけ、ぴかっと閃いた『伊三郎別れ旅』の続き の、口立て稽古を始める。 渡辺美佐子の時にはなかったのかしれない、派手 な大仕掛けが大詰めに用意されていた。 平淑恵が、一時間半の長丁場を、見 事にひとりで演じ切ったのを観ると、人間はすごいことができるものだと、あ らためて感動する。