清家篤塾長の2011年頭挨拶2011/01/13 07:10

 10日は第176回福澤先生誕生記念会で三田へ出かけた。 祝日(成人の日) の上、ひどく寒い日だったので、来場者が少ないのかと思ったら、そんなこと はなかった。 幼稚舎生の「福澤諭吉ここに在り」とワグネル・ソサィエティ ーの「日本の誇」の合唱の後、清家篤塾長の年頭挨拶を聴く。 清家塾長の話 はいつも、小尾恵一郎先生を思わせる。 難解な小尾さんの話の、解説を聴く ようだ。

 慶應義塾の「学問」による貢献について話す、と切り出した。 福沢が『学 問のすゝめ』で強調した意味での「学問」が、今日、重要になっている。  (1)「学問」によって、新しい価値を創造する。 所得も、余暇も、セーフ ティー・ネットも生まれる。 経済的付加価値を増やすための「学問」。  (2)変化に対応できる人材の育成。 今日グローバルなシステムそのもの の持続可能性が問題になっている。 年齢、男女、外国人など多様な価値観、 文化的背景の異なる人々と、協力できるコミュニケーション能力を育てるとと もに、問題解決の出来る思考の方法を身につけさせる。

 詳しくいうと、(1)豊かさは「学問」に依拠している。 それは産業革命で 飛躍的に上昇し、18世紀後半から人口も増加した。 近代技術によるもので、 そのもとはニュートン力学に始まる近代科学だ。 福沢のいう実学、実証科学 (サイエンス)で、さらにたどれば地動説の信頼性を決定づけたケプラーの法 則などの近代天文学に至る。 列強との軍事力、産業力の格差は、背後に「学 問」の格差があると、福沢は認識した。 今日の状況も、基本原則は同じ。 I Т、生命科学、エネルギーなどの「学問」研究が、豊かな社会の源泉である。  (2)専門の能力を身につけさせる。 大学院教育を始めとして一貫校まで、 「学問」的なものの考え方=「学問の作法」を身につけてもらう。 客観的に ものを見て、問題を発見し、自分の頭でよく考えて、論理的な仮説をつくり、 客観的に検証する。

 しかし、これはすぐに社会に役に立つ「学問」ということではない。 近代 天文学におけるコペルニクスやガリレオ・ガリレイの成果は、当時、うさん臭 いものだった。 天動説の方が、“市民目線”に合致していた。 日々の経験や 実感とは違うものが真理であるということが、「学問」を通じてようやく理解で きた。 それが人間の知性だ。 真理を追究する「学問」は、面白いから、や りたいから、やる。 幅広い教養教育で、そうした過程を追体験させて、「学問 の作法」を身につけさせる。 慶應は実験を伴う自然科学の授業を積極的にや っている。 自ら研究して、卒論や卒業研究にまとめることを重視し、学生で も社会に新たな叡智を与えることを目指す。 そのために少人数の演習授業、 セミナーを重視する。 スポーツなど自主性を重んじる課外活動でも、例えば 体育会なら戦術、技の研究を「学問の作法」で行う。  慶應義塾は、質の高い留学生プログラムで世界と交流し、日本全国との交流 も目指す。 実は入学者の72%の保護者の住所が首都圏の三都県に集中してい るのが現状なので、地方から入学しやすいように考えなければならない。

 私立大学の役割はますます重要になって来ている。 官公立大学は、国の政 策に左右されやすい傾向がある。 私立大学の存続は、社会そのものの存続に も不可欠である。 福澤諭吉生誕175年記念講演で、阪大の鷲田総長は、いざ という時に、お互いに支えあう社会の仕組が、本当の意味での「私立」という ことだと話した。 慶應義塾は「学問」によって、日本と世界の社会をよくす るために貢献しなければならない。