「福澤諭吉の提言」(2)官尊民卑の教育政策2011/01/15 07:15

 寺崎修さんの講演「福澤諭吉の提言」のつづき。 (2)官尊民卑の教育政策…明治10年1月8日、慶應義塾は私学で唯一、官公 立学校と同等の学校と認定されて、徴兵免役の特典を与えられた。 慶應義塾 は当時、田中不二麿文部大輔の文部省と仲良かった。 しかし政府部内の反発 が強く、明治12年10月の徴兵令改正で、私立学校への免役が全廃され、慶應 義塾への特典が剥奪された。 『朝野新聞』は「教育ノ妨害」という論説を掲 げ、福沢も東京学士会院(今の日本学士院)で演説し、私学への不平等を批判 した(明治13年2月15日の「高等私立学校に就て試験法を定め学力優等の者 は宜しく徴兵を免ずべき議案」)。 明治16年12月の徴兵令改正では官公立学 校の徴兵免役の特典が廃止され、徴兵猶予の制度に変ったが、この特典も私立 学校である慶應義塾には付与されなかった。 福沢はこの文部省の政策を激し く批判、関西では同志社なども立ち上がった。 福沢は山県有朋などへ手紙を 書き、明治17年1月11日には特典回復の請願書を東京府知事に提出している。  慶應義塾は「特典外の者」であるので、「保存之見込」は立たず、「一朝にして 廃滅」するのは「眼前の事」と、必死の思いを述べている。 文部省の返答は 冷淡なもので、国立公文書館に「文部省意見」という文書が残っている。 「官 立学校は国家必需の学生生徒を養成するもの」で、「私立は国家に弊害なきを認 めて、設置を許すもの」に過ぎず、同等には論じられない、「該塾」つまり慶應 義塾が「廃滅するとしても、国家に痛くも痒くもなく、これを患(うれ)うる に足らざるなり」という全面却下であった。

 ここで注意しておくべきは、慶應義塾に与えられた徴兵免役の特典が剥奪さ れたのは、明治12年10月の徴兵令改正だったことで、従来『慶應義塾百年史』 や富田正文先生の『考証 福澤諭吉』が明治16年と記述していることだ。 つ まり慶應義塾に対する文部省の圧迫政策は、明治14年の政変以前、すでに明 治12年頃から始まっており、政変後に激しくなったと言える。

 その12年後の明治24年8月15日『時事新報』の社説「私立学校撲滅」(『福 澤諭吉全集』に載っていないが、福沢の筆と考えられる)で、福沢は私立学校 への圧迫がだんだんひどくなっていることを指摘し、9月2日の社説「官立学 校独立策は如何」では、官立学校は全廃しても差し支えない、全廃できない場 合は私学並みの授業料を取れという官立学校の“民営化”を提案している。

 文部省の官学優遇の歴史は脈々として続いており、今日もその予算の削減率 に大幅な違いがある。 病院の診療費、郵便局・銀行の利率、国鉄(JR)・私 鉄の運賃に、官業と民業の大きな差がないのに、教育については「国費による 価格ダンピング」が続き、文部省の政策に何ら変わりがない。  福沢諭吉の権力に迎合しない独立の精神に、深い感銘を覚える。

(寺崎修「明治十年代の文部省と慶應義塾―私学冷遇政策の沿革」『福澤諭吉年 鑑』26(1999)所収、『福澤諭吉事典』「『時事新報』社説・漫言一覧」、『慶應 義塾史事典』「徴兵令と慶應義塾」を参照した)