漫画家ヒサ クニヒコさんの話2013/07/10 06:23

 いささか旧聞だが、6月21日(金)に慶應三高校新聞のOBOG会、ジャー ミネーターの会が、日本外国特派員協会であった。 慶應義塾出身の漫画家・ イラストレーター、恐竜研究家のヒサ クニヒコさんの話を聴いた。 ヒゲを蓄 え、ビヤ樽型の、いかにもヒサさんといった方だった。

 ヒサ クニヒコさんは1944年生れ、66年法学部卒。 同期の方によると普 通部の頃から、せっせと漫画を描いていたそうだ。 「小生意気な漫画」を描 いていたら、文藝春秋が『漫画読本』に8頁とか16頁とかくれた。 72年、 第18回文藝春秋漫画賞受賞。 かつては子供漫画と大人漫画があった。 近 藤日出造、横山隆一、杉浦幸雄、清水崑、加藤芳郎などの、大人漫画の文化が 消えた。 現在、同じものを目指していた人は、いない。 淘汰された契機の 第一はオイルショック、紙がなくなって、出版が減った。 第二は、昭和天皇 のご病気で、バカバカしいもの、面白い漫画が淘汰されたが、自分は面白くな いから生き残った。 第三は、バブルの崩壊、企業のPR誌(お金もよかった) が激減した。 珍しい存在、絶滅危惧種となった。

 本職は漫画、挿絵、イラストだが、絵本、童話、エッセイから、旅行ルポや テレビの紀行番組のレポーター、ラジオのレギュラー出演など、いろいろなこ とをやってきた。 交通公社の雑誌『旅』、広島から東京まで、貨物列車の電気 機関車の運転席に乗った。 でかくて、高い、夜9時に立って、朝汐留に着く。  運転士は2時間ごとに交代して、みな元気だが、こちらは一人、一睡も出来な い。 国鉄の機関誌『R』、北海道で車掌室に乗りっぱなし、マイナス十何度、 後ろしか見えない、運転室は組合が違うから駄目だ、と。 『山と渓谷』誌、 ふだん山に登らない人を、登らせたらという企画で、前穂高岳へ。 山の取材 と、船の取材は、途中下車ができない。 つくづく、山は、写真で見るもんだ、 と思った。 防衛庁(省になる前)、冬の北海道、雪中訓練隊員の苦労を体験、 イグルーの中、寝袋で寝る、暖房はローソク一本。 潜水艦の訓練、水が漏っ たらマズイという想定で、部屋の中で水漏れを止めるのを一緒にやらされた。  ただ、従兵を付けますと、将校の扱いで、ずぶ濡れになったら、風呂に連れて 行かれ、背中を流してくれた。(つづく)

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