授業料と「三助実業家論」〔昔、書いた福沢4〕2013/07/16 06:16

  等々力短信 第121号 1978(昭和53)年8月5日

〔福沢と商売〕2 授業料のはじめ

 『福翁自伝』によれば、生徒から毎月授業料を取ることは、慶應義塾が創め た新案であった。 それまでの日本の私塾では、入学時に束脩を納める他、盆 暮に生徒銘々の分に応じた金子を先生家に進上する習慣だった。 福沢は「と てもこんな事では活発に働く者はない。 教授も矢張り人間の仕事だ。 人間 が人間の仕事をして金を取るに何の不都合がある。 構ふことはないから公然 価を極めて取るが宣い」(七-163)と考えた。

 明治2年8月版「慶應義塾新議」に「一、受教の費は毎月金二分づつ払ふべ し」と規定されているのがそれである。 生徒を教える先進生は月に金四両あ れば食える。 一分は四分の一両だから、一人で八人を教えればよい勘定だ。  「但し金を納るに水引、熨斗(のし)を用ゆべからず」という文句に、福沢の 慣習にとらわれない自由な考え方、ざっくばらんな人柄が出ている。

  等々力短信 第124号 1978(昭和53)年9月5日

〔福沢と商売〕3 焼芋屋も三助も実業家

 藤原銀次郎氏の『福沢先生の言葉』(実業之日本社)という本に、福沢が卒業 する学生をつかまえては、なんでもいいから、とにかく生きた仕事をやれ、下 手な官員や月給取になるよりも、商売だ、実業家だ、とすすめ、何もやること がなければ、焼芋屋でも、風呂屋の三助でもよい、これも立派な実業家だと、 真面目になって力説した話が出てくる。 学生達はこれを「先生の三助実業家 論」といった。

 叙勲の話があった時、福沢は「人間が人間あたりまえの仕事をしているにな にも不思議はない。 車屋は車をひき豆腐屋は豆腐をこしらえて書生は書を読 むというのは人間あたりまえの仕事をしているのだ。 その仕事をしているの を政府がほめるというなら、まず隣の豆腐屋からほめてもらわなければならぬ」 (七-160)と断った。

 福沢の表現はユーモアで中和しているが、いつも直截で強烈だ。 だから、 分りやすい。