高山弘先生とのお別れ2013/08/23 06:27

 慶應志木高校で教えていただいた高山弘(ひろむ)先生が、11日に亡くなら れたという訃報が志木会のメールマガジンに出て、19日中野坂上の宝仙寺の葬 儀に参列することが出来た。 享年84歳。 高山先生には長く「等々力短信」 を読んで頂いていて、4年前の千号の会にもお出で下さっていたのだった。 志 木高では昭和23(1948)年4月から平成6(1994)年3月まで、実に46年間 にわたって教鞭をとられ、名誉教諭になられた。 祭壇両端のお花は、黄色の 丸い花でつくられたペンマークもあるブルー・レッド・ブルーの三色旗で、式 場には終始「塾歌」が厳かに流れていた。

 ご長男は挨拶で、一昨年から闘病なさっていたが、慶應義塾大学病院の主治 医が志木高の教え子で、高山先生に厳しく教えられたお蔭で今日があると感謝 している、先生を担当することで多少は恩返しできたかもしれない、と話して いたそうだ。 私は「化学」と「農芸」を教わった。 一年生「化学」のしょ っぱな、「元素の周期律表を丸暗記せよ」といわれ、生意気ざかりで、反発した ものだ。 最近テレビのCMで子供が周期律表順に並ぶのがあるが、見るたび に高山先生のことを思い出す。 7年下で工学部へ進んだ弟も、先生に教えて 頂き、お通夜に伺ったが三百人ほどの会葬者だったそうだ。

 葬儀には、大舘清次先生も車椅子で参列されていて、「とうとう一人になっち ゃったよ」と嘆いておられた。 私の入学当時、高山先生、建部勇之助先生と、 同年代の若手三羽烏であった。 近年、野口福次先生、三田熙先生、奥井泰夫 先生も亡くなられた。 葬儀には、同期の森川功君、斉藤良雄君も参列してい た。 それぞれ剣道部と写真部で、高山先生のお世話になったのだそうだ。

 お別れで、棺の中に三色旗の花をお入れした。 ブルーもカーネーションだ った(色を吸わせたものか)。 お足許に手沢本の『岩波 国語辞典』が納めら れていたのが印象的で、お人柄を偲ばせた。

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