漱石の「坂と台地」「高低差で心理描写」2018/10/20 07:07

 「猿楽祭」でデンマーク大使館を覗いてから、東急トランセの代官山循環バ スで、急坂を下りて渋谷に出た。 食事の後、「竹の春」と「桃」の句会<小人 閑居日記 2018.9.18.>に書いた渋谷ストリームと渋谷川の遊歩道に、家内を 案内した。 並木橋の際に出て、また代官山駅の方へグルッと一周することに なった。 この道は緩やかな上り坂なのだが、だらだらと長く上っていて、結 構きついのだった。 いつもリフレッシュ氷川という渋谷区の施設で『夏潮』 渋谷句会が終った後、並木橋の交差点で別れて、この道をお帰りになる方々が いるのだが、健脚だということがわかった。

 そんなことを書いたのは、12日の朝日新聞の文化・文芸欄に、「いま読む漱 石 新たな発見」という記事があって、早大名誉教授(日本近代文学)の中島国 彦さんが「坂と台地 高低差で心理描写」と語っていたからだ。 今夏、漱石作 品を東京の地理で読み解いた『漱石の地図帳』(大修館書店)を出版した。 坂 や台地に注目すると、漱石が地形を利用して心理描写をしたことが見えてくる というのだ。

 たとえば、親友Kを出し抜いて、下宿のお嬢さんを手に入れた『こころ』の 先生は、小石川の伝通院近くの下宿から散歩に出て、「(神田)猿楽町から神保 町の通りへ出て、小川町の方へ曲り……万世橋を渡って、明神の坂を上って、 本郷台へ来て、それからまた菊坂を下りて、しまいに小石川の谷へ下りた」と いう4回の上り下りをする。 中島さんは、ここに注目して、「落ち着かない 先生の気持ちを、漱石は小一時間の道のりの高低激しい起伏で表現した」とす る。 Kはこの後、自殺する。

 『それから』では、高等遊民の代助は、藁店(わらだな・神楽坂通りにある 老舗文具店「相馬屋」の向かいにある路地に沿って上っていく地蔵坂)あたり に住んでいて、帰京する三千代夫妻のために、伝通院近くに家を探す。 漱石 は、江戸川を挟む二つの台地(牛込台地と小石川台地)の向かい側に、代助と 三千代の家を設定したのだ。 ある日、その谷間、牛込見附で、愛する三千代 の家の方に灯を認めた代助は、安藤坂を上って行く。 「遠くの小石川の森に 数点の灯影を認めた。代助は……三千代のいる方角へ向いて歩いて行った。」  中島さんは、「灯」を頼りに思わず引き寄せられる恋心が表現されている、と岡 恵里記者に語ったそうだ。

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