仏教や儒教の「色好み」への影響 ― 2008/08/22 07:09
ここで寂聴さんの「源氏物語の男君たち」を離れ、岩下尚文さんの『芸者論』 に戻る。 11日に、光源氏こそ、「大和魂」と「色好み」、王朝貴族社会の理想 を投影した人物だったと書いた。 岩下尚文さんは、性に関する宗教的な戒律 が緩やかで、「大和魂」の赴くままに「色好み」の生活を行うことが理想とされ ていた平安時代ではあったが、海の彼方から仏教や儒教が伝えられるに及んで、 先進国ではこれを邪淫と考え、恥しい行為とされると知った知識人たちは、に わかに反省し、次第に揺れ動くようになっていった、という。 仏教や儒教の 性に関する戒律の影響は、平安朝の頃から目に付き始め、『源氏物語』の作者・ 紫式部も、「色好み」の理想を礼賛する一方で、たびたび主人公に後悔させ、彼 に愛される女性たちが、「巫女」であるにもかかわらず、恋の悩みが菩提の種と なって出家をするという筋に仕組んでいることを思えば、この後すぐに古代的 な王権が解体していくことも頷かれる、というのだ。
保元平治の乱れに乗じて源平の武士たちが天下を掌握し、天子は古代以来の 臣下である公家たちとともに、清浄な信仰生活を守るべく、「色好み」の生活を 和歌集に秘めて、玉簾の奥深くに籠もる。 禁裏の外では、人々の中から神代 の記憶が次第に薄れ行き、日本の神々は唐天竺渡りの仏たちに圧倒され、下座 に仕える眷族のように貶しめられて行く。 こうした日本の神々の哀れな変貌 は、そのまま古代以来の神に仕える職掌を生業として来た人々の上にも重なる。 職人たちも、白拍子を含むアソビメたちもそうだった。 アソビメたちは、そ の後も長く、貴人に接していた。 いかに世の中が変わろうとも、彼女たちは 信仰による職掌を捨てず、時代が降って江戸期の吉原でも、古代の神々の振舞 いが新しい形でよみがえることになると、岩下尚文さんの『芸者論』は説く。
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