わが選句と、『枇杷の会 第二回句稿集』2009/07/22 06:58

 明治神宮吟行句会の結果は、まずまずで、英主宰の選に次の五句が入った。

 五月闇砂利踏む音のするばかり

 皇后の御釣し露台夏木立

 にょきにょきと芝生捻花持ち上げて

 菖蒲田を見下ろす亭に雨宿り

 菖蒲田の雨たちまちに溢れ出る

 ただし皇后の句は「露台」が建物の上の方の感じになるので、「御釣の池」に するとか検討の要があり、にょきにょきの句は「芝生捻花」と名詞続きなので 〈にょきにょきと芝に捻花持ち上げて〉と直したほうがよいというお話だった。  順番で披講をしたので、細かい記録はできなかったが、知水さんにつづいて多 い票をいただいた。

私の選句は、つぎの七句。

 菖蒲田の花も仕舞ひや畦も潰え     英

 池の面を乱す緑雨や鯉しづか      知水

 ぱらぱらと残んの菖蒲傘往き来     英

 大鳥居くぐれば涼し太鼓の音      知水

 棚田想ひ浮かべて御苑の花菖蒲     善兵衛

 鯉も蚊もおつとりとゐる神の池     知水

 風渡るふちどりの濃き花菖蒲      知水

 毎度ご苦労様の幹事役・善兵衛さんが、当日『枇杷の会 第二回句稿集』とい う立派な冊子を作ってくれた。 2006年1月14日の第11回浜離宮・浅草か ら、2008年5月24日の第20回旧古河庭園まで、私の欠席は2回だけだから、 拙句もたくさん出ている。 最近『櫻川イワンの恋』(文藝春秋)を上梓した三 田完の長谷川知水さんが、「歳時記の記」というあとがきを寄せている。 三田 完さんでなく、知水さんで頼めば、原稿料は安いという笑い話になった。

陰暦五月の季節感<等々力短信 第1001号 2009.7.25.>2009/07/22 07:58

6月と7月の落語研究会(TBS主催)で、五街道雲助が「髪結新三」の上 下を演じた。 五街道雲助、落語に馴染みのない方は、へんな名前だとお思い だろう。 十代目金原亭馬生(志ん生の長男、志ん朝の兄)の弟子で、江戸期以 来、名乗る人のいなかった古い名前を馬生がつけたらしい。 中堅、なかなか の勉強家で、人情噺などもよくする。

「髪結新三」の舞台は、日本橋と川向こうの深川、陰暦五月四日、明日は端 午の節句だという日に始まる。 「髪結新三」は歌舞伎の外題だと「梅雨小袖 昔八丈」となるように、陰暦五月は梅雨の季節である。 五月雨が、陰暦五月 に降る雨、つまり梅雨のことなのは、芭蕉の<五月雨をあつめて早し最上川> でご存知のとおり。

 その夕刻、日本橋新材木町(今の堀留町1丁目)の材木屋白子屋(しろこや) の娘・お熊と手代の忠八が、髪結新三の計略に乗り家を出る。 お熊は和国橋 に待たせた駕籠で深川富吉町(今の永代1丁目)の新三の家へ先に行き、忠八 と新三が歩いて後を追う。 雨が降り出したので、傘屋や草履屋の並ぶ“照り 降り町”(今の小舟町で、小網町の楊枝屋さるやの前のあたり)で大黒傘と吉原 下駄を買う。 梅雨末期の豪雨か、雨も風も激しくなった新堀(今の箱崎町) で、新三が悪の正体を現し、忠八を道具に使って美人のお熊をかどわかしたこ とを告げ、忠八を蹴倒し、その額を吉原下駄で割る。

 明けて五月五日はセッキ(節季)と雲助の言う端午の節句、カラリと晴れて、 よい天気になった。 梅雨晴れ間。 低気圧が、東海上に去ったのか。 おめお めと戻った忠八の話で事情を知った白子屋では、抱え車力の善八に、十両を持 たせて新三の家へやるのだが、新三は散々なぐさんだお熊を荒縄で縛って押入 れに放り込み、褌一本で酒をのんでいる。 十両のめくされ金なんぞ、てめえ にくれてやらぁと、言われてしまう。

 善八が女房の入れ知恵で、悪にはその上の悪をと、町内の大親分・弥太五郎 源七を引っ張り出すが、これもダメ。 そこへ新三の大家の長兵衛が「三十両 で中に立つ」と登場する。 長兵衛は、新三の家に来て、三分二朱で買ったと いう初鰹に驚く。 三分を七十五銭として八十七銭五厘、一両(およそ8万円) に近い金になる。 <目には青葉山ほとゝぎす初がつを 素堂> 江戸っ子が 「女房を質に置いても」といった初鰹だ。 新三は、入墨者を長屋に置いてお けぬという家主の権威に、三十両の半分と初鰹の半身、滞った店賃の五両まで 巻き上げられた。 悪は、そして滅びに至る。

  (今月は都合で、少し早くアップしました。)