「柳沢吉保と六義園」のお話を聞く前に2018/10/09 07:10

 9月25日は、家内の同級生マーちゃんこと川口政利さんの奥様、川口祥子さ
んの「お話の会」を聴きに、本駒込の地域活動センターに行った。 祥子さん
は、元都立高校の国語の先生で、お仲間とこの会を40回も続けているそうだ。 
この日のテーマは「柳沢吉保と六義園」。 実は3月同じ会で、ご夫君の「六
義園の水の出入りと海老床地図」を聴いて、この日記に下記のように5日も書
かせてもらった。 今回は、その話の続きというか、背景についてのお話で、
言わばご夫婦の共同研究であり、共同作業は当日の政利さんの映像担当にも発
揮されたのであった。

江戸の水道と松尾芭蕉<小人閑居日記 2018.4.11.>
「玉川上水」⇒「千川上水」⇒六義園<小人閑居日記 2018.4.12.>
「海老床地図」「安政年代 駒込周辺之図」を読む<小人閑居日記 2018.4.13.>
「海老床地図」で六義園からの流路を確認<小人閑居日記 2018.4.14.>
滝野川反射炉と関口製造所<小人閑居日記 2018.4.15.>

 そこで「柳沢吉保と六義園」だが、実は私、2012年に筒井康隆さんが朝日新
聞に連載した『聖痕』で六義園を「むくさえん」と振り仮名していたので、川
口さんにお尋ねし、祥子さんから教えて頂いて、こう記していた。
「柳沢吉保の側室、正親町町子に『松蔭日記(まつかげにっき)』(岩波文庫
にも入っている)がある。五代将軍徳川綱吉の正室は、京都から来たお公家さ
んの鷹司信子で、正親町町子も信子に付いてきたらしい。『松蔭日記』は名作と
して知られ、元禄文化を生み出した綱吉治世下の最高権力者、柳沢吉保の半生
の栄華物語。多数の妻妾を伴っての光源氏のような日常生活を、『源氏物語』『栄
花物語』をふまえて書いたものだ。その中に、「むくさのその」として出て来る。」
と。

それがあったので、その年、『松蔭日記』が描く綱吉と吉保の時代を始め、『忠
臣蔵』について、いろいろ書いていた。
秋山駿著『忠臣蔵』~泰平の元禄、平和の平成<小人閑居日記 2012. 11. 6.>
刃傷事件を仕組んだのは?<小人閑居日記 2012. 11. 7.>
『松蔭日記』が描く綱吉と吉保の時代<小人閑居日記 2012. 11. 8.>
泰平の時代の武士道<小人閑居日記 2012. 11. 9.>
徳川綱吉と学問、元禄文化の全盛へ<小人閑居日記 2012. 11. 10.>
柳澤吉保は大変な政治家だった<小人閑居日記 2012. 11. 11.>
五代将軍徳川綱吉の再評価<小人閑居日記 2012. 11. 12.>
「綱吉は十五代で一番よい将軍」<小人閑居日記 2012. 11. 13.>
「徳川綱吉は名君だった!?」<小人閑居日記 2012. 11. 14.>

 なお、「ブラタモリ」から、こんなのも書いていた。
中野の「犬小屋」と「生類憐みの令」<小人閑居日記 2012. 2. 24.>

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