創立150年への宿題〔昔、書いた福沢106〕2019/08/24 09:24

              創立150年への宿題

      等々力短信 第946号 2004(平成16)年12月25日

 8月20日、平山洋さんの『福沢諭吉の真実』(文春新書)という衝撃的な本が 出た。 帯に「慶応義塾も福沢研究者も岩波書店も、すべてが気づかなかった 全集と伝記に仕掛けられた巧妙なトリック」とある。 平山さんは、1925年の 大正版『福澤全集』、1933年の昭和版『続福澤全集』を編纂し、『福澤諭吉伝』 全4巻(1932年)を著した石河幹明を名指しして、その犯人だという。 それら の全集を継承した現行『福澤諭吉全集』全21巻(1958年)では「時事新報論集」 が9巻を占めている。 その全てが福沢の筆ではないことは1996年から大妻 女子大学の井田進也さんが「無署名論説認定基準」によって指摘してきた。 平 山さんは石河幹明が、時流に合わせ、領土拡張、天皇賛美、民族差別という自 らの主張に沿って、自筆の論説をもぐりこませたり、福沢や他の記者のものを 取捨選択し、福沢を大陸進出論の思想的先駆者に仕立てたというのである。

 石河幹明とは、どんな人物だったのか。 私はまず「石河幹明の真実」から 始めなければならないと思った。 富田正文さんの「石河幹明氏を語る」 (1988・89年『福澤手帖』59・60・61号)を読む。 石河幹明は人名辞書にも 出ていない、『福澤諭吉伝』の著述と正続『福澤全集』17巻の編集以外には仕 事が残っておらず、『時事新報』以外に書かなかった(ペンネームは「碩果生」)。  福沢生存中は陰の人で女房役だったが、没後は主筆として全部で2300編の社 説を書いている。 大逆事件と乃木大将の自殺に対する論説は大したものだと いう。 松崎欣一さんの「石河幹明―福澤諭吉の名を今日に伝えた人々②」(『三 田評論』6月号)は、福沢書簡から見た石河の姿を描いている。 『時事新報』 記者駆け出しの頃は文章も下手で、編集長に反抗したりしていたが、4、5年で 福沢の納得する社説原稿が書けるようになった。 福沢は晩年も『時事新報』 の編集に子細な指示を出す一方、石河達を旅行や芝居見物に誘い出し休息の機 会を与えようと気を配ったりしている。 俵元昭さんは「義塾の先人たち11」 (1990年6号『塾』)で、石河には、伝記編纂中に情報売り込みを断った他に、 逸話、挿話、秘話の類が一切ない、趣味も、避暑のほか植木屋の指図くらい、 謹厳温厚実直の人だったと書いている。

新年からは、2008年の慶應義塾創立150年に向けて、井田進也さんの方法 をとっかかりにして、「時事新報論集」についての議論を活発にするとともに、 ぜひとも『福澤諭吉全集』のCD-ROM化を実現してもらいたいと思う。

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