福沢索引2006年11月のブログ・伊丹レイ子名誉教授の―What Did Dr.Johnson Say?―[昔、書いた福沢247]2020/04/18 07:02

三田の戦没学生記念碑<小人閑居日記 2006.11.11.>

 三田に行ったので、「平和来」の銅像を見て来た。 朝倉彫塑館の像と同じ、 朝倉文夫の作品であった。小泉信三さんは戦没塾員を記念することを熱心に主 張したが、欧米の大学のように、鄭重なことはできなかった。 「平和来」の 像の近くに、本を開いた形の「還らざる学友の碑」がある。 「還らざる友よ」 と題し「君の志は/われらの胸に生き//君の足音は/われらの学び舎に/響 き続けている」と刻んである。  白井厚編『大学とアジア太平洋戦争』(日本 経済評論社)によると、慶應義塾大学関係の戦没者は約1,528名が確認されて いるという。(1997.8.15.「等々力短信」第781号)

サミュエル・ジョンソンと「第二の知識」<小人閑居日記 2006.11.13.>

 伊丹レイ子名誉教授の「復活!慶應義塾の名講義」vol.8演題は―What Did Dr.Johnson Say?―「1755年に「英語辞典」を単独編纂した英国の文豪サミ ュエル・ジョンソン博士の語録」。 門外漢の私がサミュエル・ジョンソンを知 っていたのは、その語録の一つによるものだった。 学生時代に読んだ、慶應 の図書館学科の先生だった藤川正信さんの『第二の知識の本』(新潮社ポケッ ト・ライブラリー1963年)の扉に掲げられていたその言葉は、大きな影響を私 に与えた。 そうか、それでいいのか、と気持を軽くさせてくれたのだ。

 「知識には二種類ある。自分で何かを知っているか、知りたいものについて 何を調べたらいいかを知っているか。」

 伊丹先生の、講義内容の詳細なプリントの中に、当然のように、その言葉は あった。 最初に出合ってから、43年ぶりの再会ということになる。

 Knowledge is of two kinds. We know a subject ourselves, or we know where we can find information upon it.(1775)

カタカナ英語、聞かない英語<小人閑居日記 2006.11.14.>

 サミュエル・ジョンソン博士(1709-84)の語録の中で、伊丹レイ子先生が プリントの最初に掲げたのが、つぎの言葉だった。

 “If a man does not make new acquaintance(友達)as he advances through life, he will soon find himself left alone. A man, Sir, should keep his friendship in constant repair.”

 「もし人が彼の人生において年老いていくにつれ新しい友人を作らなければ、 彼はまもなく自分が一人ぼっちであることに気がつくであろう。人間は友情を 保つために常に修繕を必要とするのだ。」

 伊丹先生は、日本人がカタカナ英語に毒されているとして、その誤用には厳 しい態度で臨まなければならないという。 例えば、この言葉の中のrepair について、日本人は家を直すことをreformするというけれど、それはrepair で、別の言葉でいえばalter,remodel,mendだ。 reformというのは、心根の 悪い人を直すことで、reform school(少年院)やReformation(宗教改革…カ トリックが悪いから改革する)などの例がある。 慶應義塾創立150年記念グ ッズの中に「ポーチ」(小物入れ)というのがあって、直してもらった。 「ポ ーチ」porchは車寄せ、玄関の日の当る所のことで、あれは「パウチ」pouch と 言わなければならない、もともとカンガルーなどの腹袋のことだから…。 こ ういう小さな所から神経をとがらせて、現代の英語を改革していくことが、ジ ョンソン博士の今日性だと、伊丹先生は言われた。  伊丹先生が強調されたことで、「日本人は英語を聞かないから、話せない」と いうのが、印象に残った。 子供は母の言葉を聞いて、しゃべれるようになる。  母国語ではなくて、母語だ。 まず、聞かなければならないというところから、 言語の教え方の慣例を破ろうと思う、と話された。

サミュエル・ジョンソンとボズウェル<小人閑居日記 2006.11.15.>

 一番大きい研究社の英和辞典で、Boswellを引いたら、まず「(自分の崇拝す る人物の伝記を書くために一身をささげる)ボズウェル流の忠実な伝記作家」 という項目があり、もう一つ別にBoswellと見出しを立てて「,James(1740-95)」 スコットランドの法律家で当時の大文豪Samuel Johnsonの崇拝家; Life of Samuel Johnson(1791)の著者」とあった。 最初の意味からはBoswellian や Boswellismという言葉も派生している。  伊丹レイ子先生は、サミュエル・ジョンソン(1709-84)とボズウェルの年 譜を並べて、その関係を話してくれた。 ジョンソンの辞書が最初に出版され たのが1755年、二人は1763年に初めて会った。 31歳年下のボズウェルは、 何でも質問するのが好きで、書かなければ存在しないという書き魔、記録魔、 そして保存魔だった。 若き日の娼婦達との関わりもsheath(condom)を使 ったかどうかまで記録していた。 実証的なところは、エディンバラ大学やグ ラスゴー大学で学び、アダム・スミスの講義にも出ているところから来ている。  そのボズウェルが崇拝するサミュエル・ジョンソンを訪れては質問し、その話 に耳を傾け、家に帰って詳細に記録した。 それがジョンソンの死後、Life of Samuel Johnsonとして結実するのだ。

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