学問は「永遠の大計」を探るもの2020/11/29 08:01

 鷲田清一さんの朝日朝刊連載「折々のことば」、2千回を迎えた21日に、鷲田清一さんと歴史学者の藤原辰史京都大学人文科学研究所准教授との対談が朝日新聞に載った。 見出しは「広場やカフェのように」、「会えない人とつながり 見たことのない場所へ」鷲田さん、「つるんとのむより、ひっかかる方があとから効く」藤原さん、だ。

 藤原さんは、「世の中の情勢が厳しくなると、(新聞の)一面と世間の空気とのバランスが難しくないですか。ぼくの好きなカレル・チャペック(チェコの作家)は、新聞のコラムを書いていた時、寓話などを巧みに使いながら、ファシズムの暴力と闘っていました」と、聞く。 鷲田さんは、「もやもやしたときに私がひいたのは、福沢諭吉やオルテガ(スペインの思想家)やフォースター(英国の作家)です。思想家としては批判的にみられもする人たちですが、真正のリベラリズムを感じます」。

 私が切り抜いていた「折々のことば」に、一昨日と別の福沢諭吉があった。 鷲田さんの言っているのは、こちらかも知れない。

 (2020年10月28日) 1977 「人間社会の事は千緒万端にして、ただ政治のみをもって組織すべきものに非(あら)ず。  福沢諭吉」

 「人の世は、農商、工芸技術、学問、政治と、それぞれの「業に長ずる者」が分担しあってこそ成り立つ。とりわけ政治が飢饉や不況、外患に臨機応変に処すべきものであるのに対し、学問は世情に幻惑されることなく「永遠の大計」を探るもの。前者の要求に応じてみだりに揺れ動いてはならないと、明治の思想家は説く。評論「学問の独立」(『福沢諭吉教育論集』所収)から。」

 『福沢諭吉教育論集』は、岩波文庫(1991年・山住正己編)。

 こんな切り抜きも見つけた。

(2018年10月24日) 1266 「自由はある日突然なくなるものではない。それは目立たない形で徐々に蝕(むしば)まれ、気がついたときにはすべてが失われている。  宮澤喜一」

「かつて内閣総理大臣・自由民主党総裁を務めた人の言葉。戦時下の日々をふり返りまず思い出すのは、生活の困窮以上に、自由と批判への圧迫だったと言う。僅かな変調を軽く見たことが強権への全面屈服につながった。そしてこの「魔性の歴史」を二度とくり返すまいと、《蟻の穴から堤も崩れる》という諺(ことわざ)を引く。『新・護憲宣言』から。」

宮澤喜一『新・護憲宣言』1995年・朝日新聞出版。

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