伝 頼山陽作「水五訓」2006/11/22 07:12

先月の「等々力短信」で紹介した清水義範さんの『心訓小説 福沢諭吉は謎だ らけ。』(小学館)に、世間の人が教訓を好む一例として「水五訓」というのが 出て来る(145ページ)。 インターネットで検索すると、ある水を扱う会社の ホームページにも出ているし、福井の永平寺の壁に掲げてあったとか、黒田如 水の作だとか、いろいろな説の人がいるらしい。

一、自ら行動して他を動かすものは「水」なり

一、障害に遭いて激し、その勢力を百倍にするは「水」なり

一、常に己の進路を求めてやまざるは「水」なり

一、自ら潔うして他の汚濁を洗い、しかも清濁併せ容れるは「水」なり

一、洋々として大海を満たし、発しては雲となり雨と変じ、凍っては氷雪と 化し、しかもその性を失わざるは「水」なり

 今月初めに書いていたように、落語研究会で聴いた桂文生の「岸駒(がんく) の虎」に、頼山陽が出て来た。 それで思い出したのだが、まだハガキだった 頃の「等々力短信」第114号1978.5.5.に「水五訓」のことを書いていた。 上 の「行動」は「活動」、「障害」は「障碍」、「容れる」は「容るる」、「凍っては 氷雪」は「凍っては玲瓏たる氷雪」となっているが、頼山陽の作だと書いてい る。 確か、経済雑誌で知ったのだったと思う。 いいなと思って、手帳にで も書いておいたのだろう。 「水五訓」を引用した後、私はある発見について、 こんなことを若書きしていた。  「勲一等笹川良一氏に「水六訓」がある。 東京湾トンネル脇の「船の科学 館」の切符に印刷してある。 頼山陽の五訓を下敷にして、動力となり光とな り、生産と生活に無限の奉仕を行い、何等報いを求めざるは「水」なり、など というのを加えている。 江戸時代人頼山陽が、笹川氏の作を盗むことはでき まい。 笹川氏はテレビCMの教訓に加えて、盗作は恥しく、文章は少しいじ っただけでも全く格調が落ちるということを教えている。」